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WITH OUR HORSES 馬とともに

競馬の世界では、華やかなステージで活躍する競走馬がいる一方で、残念ながらそこまで辿り着けなかった競走馬もいます。全ての馬に同じように愛情を注ぎ、一頭一頭の個性を踏まえた育成を施したつもりでも、それらが必ずしも結果に繋がらないことは少なくありません。しかし、それだけに結果が出た時にもたらされる喜びはとても大きく、悩みながら接して得た経験もまた、何事にも代え難い財産となります。私たちは、一頭の競走馬を通じて牧場スタッフが当時何を考え何を得たのかについて、この業界を志す人たちに向けて発信していくことも、とても大事なことだと捉えており、このたびライターの方々の協力をいただきながらこのページの作成にあたりました。このページの趣旨にご理解をいただき、その上で読者の皆様にとってより競馬への興味を深めるきっかけになれば幸いです。

Text/R.Yamada

Aerolitheアエロリット

2014年5月17日生 牝 芦毛
父 クロフネ(USA)
母 アステリックス
〈競走成績〉 国内18戦4勝 海外1戦0勝

現役通算19戦4勝2着7回。牡馬を一蹴したNHKマイルカップ。圧巻の逃走劇を見せたクイーンステークス、毎日王冠。勝ちに等しい内容だった安田記念の2年連続2着。そして、ノーザンファームのスタッフたちが「NHKマイルカップに並ぶ印象深いレース」と口を揃える天皇賞・秋の価値ある3着。その軌跡からは獲得したタイトル数だけでは決して測ることのできない、格別な能力が滲む

photo/Weekly Gallop

2014年、日高分場でのお産がスタート、新たな挑戦の中で生まれた40頭の中に
アステリックス14(=アエロリット)はいた

繁殖厩舎 Voice村瀬 暁 & 佐々木 啓

アエロリットが誕生したのは2014年5月17日、ノーザンファーム日高分場。前年の秋からお産厩舎として本格的にスタートを切った同分場にとって、この世代が記念すべき第1期生だった。当時を知るのはH1厩舎長だった村瀬暁(現繁殖主任)とサブの佐々木啓(現厩舎長)。2人はノーザンファーム早来時代から同じ厩舎の先輩・後輩で、2013年から田代巧主任のもとで分場の立ち上げから携わり、苦楽を共にしてきた間柄でもある。村瀬はアエロリットが生後3ヵ月の頃に研修でオーストラリアに渡っており、不在時の厩舎管理を任されていたのが佐々木であった。

村瀬
9年前のことでハッキリとは覚えていないのですが、生まれ落ち50キロを超えていて初仔とは思えないほど立派な体だったと記憶しています。母アステリックスが馬格のある馬なので、その遺伝子をしっかりと引き継いでくれたのでしょう。見た目でいえば繋の部分などで多少硬さを感じたことくらい。それも装蹄師さんと相談しながらケアする程度で、ダートも走るクロフネ産駒らしさの範疇でした。アエロリットの場合は母父ネオユニヴァースの柔らかさがちょうど良い感じに作用してくれたのかなと思っています。

佐々木
この年、こちらでは早生まれの1~2月生まれと、遅生まれの4~5月生まれの約40頭が誕生していて、アエロリットが生まれたのはシーズンの最後の方。遅生まれで、母の初仔でもあったので心配しましたが、生まれてきたら骨太でムチムチとして、フレームもしっかり。『ああ、良い仔が生まれたな』と思ったのを覚えています。母にとって初めての仔育てでしたが、母乳の量も十分にありましたし、その後もスクスクと成長。5月生まれで10月には離乳していますから、この間に一頓挫もなかったということ。とても丈夫で健康な仔でしたね。

2023年3月 アエロリット photo/R.Yamada

日高分場にとってお産1年目の世代ということですが、本場と分場で管理の仕方に違いはあったのでしょうか?

村瀬
アエロリットが生まれた2014年当時の日高分場は土壌を含めてまだまだ改良途上でしたが、頭数に対して使える放牧地の面数が多かったのでローテーションで常に草の状態が良い放牧地に放すことができるメリットは大きかったと思います。また、こちらでお産をスタートするにあたっては田代主任の「馬は群れでいることが大前提」というモットーのもと、ノーザンファームとして初めて繁殖牝馬に対する厳冬期の夜間放牧を試みた最初の年でもあります。これは本場ではやっていなかったことで、分娩の約1ヵ月前まで試行錯誤しながら夜間放牧を続けました。そうして誕生した中からアエロリットやミッキースワローのような丈夫で健康な仔が出てくれたことは本当に嬉しかったですし、私たちがやってきたことは間違いではなかったと自信にもなりました。

日高町川向の土地は以前、他の牧場が使用していた土地とはいえ、しっかりと整地・デザインされている本場とはすいぶんと勝手が違った。より良い放牧地を作るために、スタッフ自ら重機に乗り込み、藪を切り拓いて不要な木を伐採したこともある。土木作業員さながらの仕事ぶりで十分な広さと面数を確保したものの、雪解けの時期や大雨の翌日には砂が流れて水がたまり、放牧地に川のような道ができた。それを埋めるためにダンプ10台分もの土を入れて整地しても、再び大雨が降ると翌日にはすべて流された。そんな大小さまざまな苦難を乗り越えながら、ようやく立ったスタート地点。その初陣を飾ったのがアエロリットであり、同世代のミッキースワロー、後のリリーノーブル、ノームコア、クロノジェネシス、インディチャンプ、ソダシ、イクイノックスへと繋がっていく。

村瀬
ここで生まれた仔が競走馬としてデビューするのは2年以上先ですから、繁殖厩舎として結果が出るまでにはタイムラグがあります。試行錯誤をしながら次の世代、次の世代へと改良を続けてきて、その答えのひとつがGⅠレースの勝利。だからアエロリットのNHKマイルカップ制覇は私たちにとっても大きな意味がありました。僕自身、クロフネの母ブルーアヴェニューを預からせていただいていた時期もあり、クロフネ産駒への思い入れは強いものがあります。日高分場から代表産駒のアエロリット、その後にソダシを出すことができて、脈々と続いてきた血がこうして結果を出してくれたことは本当に嬉しいことです。

佐々木
名馬になるかもしれない馬を、もっとも早い段階から見てその成長過程を追っていけるのは繁殖厩舎の一番の魅力ですよね。赤ちゃんは本当にあっという間に大きくなりますから、その変化をすぐ近くで見ることができるのは醍醐味だと思います。

村瀬
ただ、心配事がない、手が掛からなかった馬というのは記憶に残らないもので、結果的に走った馬ほど幼少期の記憶がおぼろげだというのは否めません。アエロリットもそういうタイプだったので、とくに印象に残るような出来事がなくて申し訳ないくらい(笑)。でも、それは競走馬としては良いことで、僕らの仕事は離乳までの短い期間をいかに快適に過ごしてもらうかがポイント。何事もなく次のセクションへ引き渡せることが一番ですから。馬が求めていることを察して、小さな変化も見逃さないこと。馬にとって僕らは時にホテルマンであり、時に看護師のような存在なのだと思っています。

佐々木
この仕事は大変なこともありますが、新しい命の誕生の瞬間に立ち会って感動することも多い。離乳、育成、デビューと競走馬はこの先に大変なことが待っていますから、ここでは母と一緒に穏やかで幸せな時間を過ごしてもらいたい。長く働いていればアエロリットのように送り出した仔が結果を出して、また牧場に戻ってきて新しい命を産んでくれる。血の歴史を追っていけることはモチベーションになりますし、私たちの一番の楽しみですね。

健やかに成長したイヤリング時代、Y9服部・Y12沖田の手を
経てアエロリットの存在感は増していった

イヤリング厩舎Voice沖田 幸治 & 服部 光浩

母と離れたアエロリットが最初に移動したのはノーザンファームイヤリング・Y9厩舎。服部光浩が管理する厩舎にとってこの年最後の移動馬だったこともあり、その記憶は鮮明だ。「踏み込みがキレイで軽さもある。クロフネ産駒だけど芝を走れるのではないかな」。当時、イヤリング厩舎長と調教厩舎での騎乗スタッフを兼務していた服部がイメージしていたのは、芝を爽快に駆け抜けるアエロリットの姿だった。一方、1歳3月以降を任されたY12厩舎の沖田はこれまで管理してきたクロフネ牝馬とは全く違うタイプのアエロリットをどう評価すべきか迷っていた。「見た目や雰囲気は間違いなく良い馬だけど、クロフネ産駒の牝馬というのは…どうなのだろう」と。

服部
日高分場からイヤリングに移動してきたのは0歳10月のことです。遅生まれでしたが、冬毛はあまり生えていなくて、フレームのしっかりした横見の良い馬だなと思ったのを覚えています。当時はまだムキムキの筋肉もついていませんから、よりラインの美しさが目について、芝を走れそうな印象を受けました。繋の立ち方や硬さについては繁殖厩舎から申し送りもあったので約1ヵ月はテーピングをして注意して見ていましたが、成長過程におけるものでそのケアもすぐに必要なくなりました。冬場の夜間放牧中でも毛ヅヤが落ちなくて良い状態を保ってくれていましたし、その後は全く問題なく成長してくれて。1歳春を迎える頃には遅生まれを感じさせないほど立派な体つきになっていましたね。早生まれの同世代の馬たちと比べても見劣りはしなかったです。

早生まれ馬とは最大4ヵ月の差がありますが、気性面の心配もなかったと。

服部
とくになかったですね。多少気が入りやすい一面は持っていて、放牧地に向かう時にグイグイ引っ張っていくような前進気勢を感じることはありましたけど、普段はまったく手が掛からなくて心配のない仔でした。うちにいたのは1歳春にクラブ募集が決まるまでの約5カ月間ですが、何しろ順調で同世代の中でも目を引く存在だったことは確か。それだけに場内移動で他厩舎へ行ってしまったのは、僕個人としては少し残念な気持ちもありました。でも、じつはその時にY12から入れ替わりでY9へ入ってきたのがライツェントの2014。のちのディアドラでした。どちらもGⅠホースになり、共に大舞台で戦った2頭。結果的に運命的なものを感じるトレードになりました。

沖田
さきにGⅠを勝ったのがアエロリットで、その時には服部に悪いことしちゃったなって思ったのですが(笑)、その後にうちから移動していったディアドラもGⅠ馬になってくれて、お互いに「良かったね」と話をしたりして。

Y12に移動したのが1歳3月。その時の印象を覚えていますか?

沖田
その時点で同世代の1月、2月生まれの馬と大差ない馬格をしていて、遅生まれだというのが信じられないほど。遅生まれ特有の幼さなども全く感じませんでしたし、見た目に悪いところは何もなかったです。当時扱っていたクロフネ牝馬は小さくて気性もきつい馬が多くて、なかなか良い結果を出せていませんでしたが、アエロリットは僕が管理したクロフネ牝馬の中では歴代No.1のサイズ。馬格のある馬らしい落ち着きもありましたし、その点は今まで見てきたクロフネ牝馬とは違いましたね。それでもやはり半信半疑。どれだけ見栄えが良くて順調でも自信満々とまでは言えなかったのが正直なところでした。

母は未勝利馬であり、名だたる良血馬がズラリと並ぶラインナップにおいて、アエロリットは目立つ存在ではなく、募集価格1400万円は同年クラブ募集馬の中で3番目に安い価格であった。

沖田
自分の中のクロフネ牝馬に対する印象があまり良くなかったですし、アエロリットの場合は母父ネオユニヴァースが牝馬での成績がもうひとつでしたからね。血統面で強く推せなかったのも事実。ただ、繰り返しになりますが、馬体が良かったことは間違いないですし、今まで見てきたクロフネ牝馬の中では見た目は図抜けていました。アエロリットの血統背景がもし違っていたなら「素晴らしい馬です!」と自信をもって推せるレベルでしたから。

クラブ募集が決まり、調教厩舎に移動するまでの間は?

沖田
芦毛はカタログ写真で毛ヅヤがあまり良く見えないのですが、アエロリットはピカピカでしたからね。どんな時でもしっかりと食べられましたし、調教厩舎への移動を控えた段階でもとくに飼い葉の工夫をする必要がなかったくらい。GⅠを勝つところまでいったのは想定を超えていましたけど、気性的にもクロフネらしいレースをしてくれるだろうと思っていましたし、当時から高いポテンシャルを感じさせる馬でした。距離やレースぶりに関しては当時思っていたとおりのもの。低価格帯の馬が結果的に賞金4億円以上を獲得してくれるのだから、夢がありますよね。

1歳5月

イヤリング部門というのは繁殖、調教よりも長い時間を過ごす場所です。基礎体力、腱、靭帯が大きく成長する過程にあり、変化が大きい期間でもありますよね。

沖田
僕の場合は走る馬は何もしなくても走る、という考え方です。イヤリングとして大事にしているのはダメなところを見つけて、削っていく作業。能力を上げることは難しくても、丈夫に走れる体にしてあげることはできる。競走馬になれなさそうな馬はなれるように、1勝できそうな馬は2勝できるように。悪いところを見つけて、早く処置できればそれ以上は悪くなりませんから。

服部
イヤリングはトレーニングへ向かうための基盤作りの場所。メンタルの面でいえば人との関わりで我慢することも必要。悪い癖をつけないように教えていくことは、その先にステップアップしていくうえで重要ですからね。あとは肉体的な変化を見逃さず、その変化の仕方がどのようなものなのかを見極めること。できるだけ不安のない状態で調教部門に送ってあげたいですね。アエロリットの競走成績を振り返っても思いますが、同じノーザンファーム内に多くのライバルがいますからね。馬同士、スタッフ同士で切磋琢磨して、世界にもっと近づけるようにレベルアップしていきたいと思っています。

服部の元からは前述の同期ディアドラ、翌年にはアーモンドアイが、沖田の元からは同期リスグラシュー、翌年にはラッキーライラックが巣立っている。牝馬史上最高レベルといわれた世代を支えた2人の手を経て、アエロリットは2015年9月、ノーザンファーム空港牧場厩舎長・中川晃征が待つC5厩舎へ移動した。

馴致から乗り出しまでオールA評価でクリア。母アステリックスも
かつて過ごしたC5厩舎で秘めた才能はすぐに開花した

調教厩舎Voice中川 晃征

馬運車から降りてきたアエロリットを見て、中川は「背も高くてしっかりした良い仔だ。母よりもクロフネ寄りかな」と感じていた。かつて自らの手で競馬場に送り出したものの、屈腱炎によりキャリア1戦で引退したアステリックスの仔。スピードに長けた母には期待していただけに、競走馬として結果を出せなかったことは苦い記憶として刻まれている。

中川
母アステリックスは脚元さえ無事だったら結果を出せていた馬だと思っていますし、その初仔ということで楽しみにしていました。イヤリングから調教厩舎に移動してきた時の馬体重は442キロ。まだトレーニング前ですから筋肉はあまりついていませんでしたが、良いフレームをしていましたね。ただ、クロフネ産駒らしい硬さがありましたし、キレイな脚つきだったわけではありません。後ろに硬さがある分、どうしても前脚に負担がかかってくるので、バランスの良い運動ができるように気をつけようと。入場当初はこうした脚元のことを考えて時間がかかるかもしれない、と考えていたのですが、乗り出してみると体幹がしっかりしていて、競走馬としての調教を進めていくと芯が入ってくる感触がありましたね。走ることに対して真面目で一生懸命すぎるところがある仔だったので、気持ちだけで走ってしまわないように、騎乗者の指示に従って走れるように。そこは気をつけながら進めました。

記録によると年明けには早期デビューが視野に入っていた。

中川
脚元が問題になることはなかったですし、右肩上がりで良くなっていって、こちらが思っている以上に良い成長をしてくれました。気持ちの強さが悪い方向にはいかず、走る方に向いてくれましたので、そういう意味でも乗りやすい馬だったと思います。持って生まれた身体能力、センス。確かな能力を感じましたし、入場時よりも期待値が上がっていたことは間違いありません。

じつはこの年、C5厩舎の管理馬は身体的な問題を抱えた仔が少なくなかった。その中においてアエロリットは一度も頓挫することなく進められた優等生。年明けからハロン15―15ペースで乗り始めると、もともと立派だったフレームはさらにも大きくなり、つくべきところにしっかりと筋肉がついた。雪が解ける頃には6月東京デビューという具体的なプランが浮上し、調教の進度はさらにペースアップ。その間も与えられた課題を次々とクリアしていき、厩舎の期待馬として名前が挙がるまでになっていった。5月9日退厩時の馬体重は501キロ。アエロリットは調教厩舎で過ごした約8カ月間で約60キロ増という驚異的な成長を遂げていたのである。

確かなスピード能力と勝負魂を見せたデビュー戦「きっと走るだろう」から
「これは走る」へ、期待値はさらに跳ね上がった

2016年 2歳新馬 photo/Weekly Gallop

「この馬は上まで行く。クラシックに乗ってくる馬だ」
6月19日、芝1400㍍のメイクデビュー東京。好発で2番手から早めに先頭に立ったアエロリットは、外からライバルたちが迫ってくるとギアを切り替えて猛然と突き離した。タイムや着差だけでは測れない〝凄み〟のようなものがモニター越しでも伝わってきた。それは中川がかつて手掛けたアパパネの初陣で感じたものに近い、強烈なインスピレーションだった。

2016年 2歳新馬 photo/Weekly Gallop

中川
OPからクラシックに乗ってくる馬の走り方。きたな、と思いましたね。新馬戦のあとすぐに北海道に戻ってきたのですが、精神的にも大人になっていましたし、何よりパワーがついていました。競馬を使ったことで馬が前向きになりすぎないように、この期間はコース以外に角馬場でのフラットワークを取り入れて、体の柔軟性や動かし方、人とのコンタクトを重視して進めていきました。秋の始動へ向けてトレセンへ戻ったのが8月末日。この時の馬体重は496キロで、5月にここを出て行く時と変わらない数字ですが、身の入り方、体つきは全然違いましたから。それでもまだまだ緩さは残っていたので、早熟な馬ではないと確信していましたし、だからこそ楽しみでもありました。

秋緒戦のサフラン賞(500万下)、フェアリーS(GⅢ)、クイーンC(GⅢ)と3戦連続2着。なかなか2勝目は遠かった。

中川
前に行くから目標にされますし、スピードの持続性やスタミナで勝負する馬ですからね。決め手勝負になると分が悪かったので、勝ちづらい馬だったのだろうと思います。それでも大きく負けていない。どんなペース、展開になっても最後までバテないのがアエロリットでした。重賞2着が2回あったことで賞金を加算できましたし、桜花賞(5着)だって慣れない後方からの競馬で最後まで伸びて0秒2差。タラレバになってしまいますが、いつものレースが出来ていればもしかしたら、とも思います。

桜花賞のあとオークス出走も可能でしたが、陣営はNHKマイルカップを選択した。

2017年 NHKマイルカップ・G1 photo/Weekly Gallop

中川
東京のマイルは一番合うと思っていたので、個人的には望んでいたとおりのレース選択でした。期待して見ていましたし、勝つならここだろうという思いもありました。

1勝馬ながら単勝2番人気に支持されたNHKマイルカップ。ベストの舞台に立ったアエロリットはポンと好スタートを切ると3コーナーで早々と先頭に並びかけ、体全体を使った大きなストライドでひたすらに前へ、前へ。ラスト200㍍で3頭横一線の叩き合いから豪快に抜け出すと、歓喜のゴールに飛び込んだ。待望の2勝目にして初重賞、初GⅠタイトル。鞍上・横山典弘騎手は満面の笑顔で右手を高々と上げ、何度も何度もアエロリットの首筋をなでて激戦を労った。日高分場生産馬として初めてのGⅠ初制覇。イヤリング服部にとっては手掛けた馬での初GⅠであり、C5厩舎の中川にとっても初めての牡馬混合GⅠ勝利であった。

牧場から直前入厩で挑んだ札幌・クイーンS、圧巻の逃走劇は
今なお語り継がれる、生涯No.1パフォーマンスとなった

2017年 クイーンステークス・G3 photo/Weekly Gallop

激戦のクラシックを戦い抜き、北海道へ戻ってきたアエロリットの体は、中川が想像していた以上に消耗していた。体は硬くなり、バランスが大きく崩れて歩様も乱れていた。しかし、札幌・クイーンステークスから始動することは決まっており、与えられた時間は1ヵ月半ほどしかない。GⅠ馬として十分な状態で送り出すために、中川がやらなければいけないことはたくさんあった。

中川
6月1日にこちらに戻ってきたのですが、状態を見てすぐにNF天栄のスタッフに電話をかけました。レースの後はいつもこの状態なのかって。それほど馬が硬くなっていましたから。それでも脚元は問題なかったので、角馬場で体をしっかりとほぐしてバランスを戻して柔軟性を高めることに重点を置いて調整しました。時間はあまりなかったのですが、GⅠ馬として出走する以上、変なレースはできません。さらに良くして送り出すことが目標でした。

直前入厩ということである程度、レースへ向けて仕上げる必要があった。

中川
NF天栄やNFしがらきとは違い、北海道でレース直前の調整まで行う機会というのはそう多くありませんので、やりがいを感じましたね。この夏は僕が一番、アエロリットと真摯に向き合った期間でもあります。少しずつバランスが戻り、硬さも緩和して、調教を積めば積むほど良くなっている感触があって。トモ脚にパワーがついて、しっかりと踏ん張れるようになったので前脚にかかる負担も軽減されたと思います。移動の2週間前には菊沢先生が追い切りに跨ってくれたのですが、その時に状態の良さを褒めていただけました。満足いく仕事ができたという手応えがありましたし、馬が良くなっていたのを感じていたのでクイーンSはおそらく勝てるだろうと。レース当日は競馬場で見ていたのですが、スタートが決まってハナを切った時点で勝利を確信したぐらいですから。

平坦コースとはいえ1000m通過が58秒3のハイペース。3コーナー過ぎから後続が徐々に差をつめてきたが、「バテることはない。絶対につかまらないと思っていた」と中川。2、3番手を追走していた馬たちが苦しくなる中、アエロリットにはまだまだ余力があった。直線に向いてもう一段ギアを上げると、再び後続との差を広げていき、一度も影を踏ませることなく2馬身半差の完勝。「これこれ!この走りだよ!」。
スピードの持続性を武器とするアエロリットの真骨頂であり、理想のレーススタイルがハッキリと見えた1戦でもあった。

レースに最も近い最前線。ノーザンファーム天栄の調整で
いよいよ完成に近づく

調教厩舎Voice上田 陽司

3歳秋以降は北海道に戻ることなく、レース間の調整を主に担ったのはNF天栄2厩舎の上田陽司厩舎長だった。以前から菊沢師の管理馬を任されていることもあり、じつはデビュー前からアエロリットの評判は耳に入っていたという。

上田
先生から『とても良い馬だよ』と聞いていて、実際にデビュー戦が先行抜け出しの強い競馬だったので、期待値は上がりましたね。ただ、その時はまだ新馬戦でしたし、重賞とか、ましてやGⅠとまでは思っていなかったですが、2戦目を終えて実馬に初めて跨った時に『おおっ』と。スピードとパワーがあって、映像から受ける印象以上の力強さを手綱から感じました。牝馬らしからぬ迫力のある馬体で、筋肉のつき方などは男勝り。お尻のボリュームもすごかったですから。ただ、前向き過ぎてひとつ間違ったら引っかかってしまいそうな雰囲気があったので、アエロリットに関しては鞍上とのコミュニケーションを大事にすることを重視して調整していました。とはいえ、決して難しい馬というのではなく、レース後でもモリモリ飼い葉を食べてくれたので調整はしやすかったです。この時期の牝馬でしっかり食べられるというのはひとつの才能ですからね。

2戦目以降はもどかしいレースが続きましたが、桜花賞に出走したのち、NHKマイルで初重賞をGⅠ制覇で飾りました。

上田
そうですね…悔しいレースがいくつもあって。ただ、いつも一生懸命に走ってくれるので2着が多かった、とも思っています。NHKマイルカップへ向けては10日前に入厩するプランだったのですが、僕自身あまり経験がなかったので手探りという感じでした。また、ちょうど桜花賞後にNF天栄の坂路の改修工事が終わって、より負荷のかかる馬場になっていて。完成して間もなかっただけに調教スタイルが定まっていなくて、場長などにアドバイスをいただきながら調整したのを覚えています。

坂路コースの前半と後半の斜度が上がって、よりタフな馬場になった。

上田
同じメニューでもかかる負荷が全然違いました。坂路の後半になるとペースが落ちる馬もいましたが、アエロリットの場合はラストまで確かな脚どりで上がってきていました。さすがですよね。この時は菊沢師も調教を見に来てくださって、手応えありという感じでした。

ノーザンファーム天栄の厩舎長になって初めてのGⅠタイトルはこのアエロリットのNHKマイルカップだった。

上田
現地には行けずTV観戦だったのですが、直線は鳥肌が立ちました。画面に向かって叫びまくって、家族にうるさいと怒られたりして(笑)。レース後はたくさんの方からお祝いのLINEをいただいたのですが、手が震えてうまく返せなかったくらい。騎乗していたスタッフに電話したら泣いて喜んでいて、本当に嬉しいレースでした。すべてが噛み合わないと勝てないのがGⅠ。調整からレース展開、メンバー構成、すべてがうまくいったのだと思います。

その後、3歳夏を北海道で過ごし、天栄へ帰ってきたアエロリットに変化はありましたか?

上田
体に幅が出たように感じました。ただ、帰ってきた当初はテンションが高くなりやすかったので、最初の方は追い込み過ぎないように、リラックスさせることを優先的に考えていました。秋から冬にかけての期間も成長の期間に充てることができたと思います。年明け緒戦の中山記念で馬体重は500㌔を超えていましたし、初めての古牡馬との対戦だったなか、結果2着とはいえ堂々としたレースぶり。春が楽しみになるような内容でした。

2つ目のGⅠタイトルへ向けて、期待が高まった4歳春の戦い。しかし、ヴィクトリアマイル、安田記念と2戦連続で落鉄のアクシデントに見舞われる。原因はハッキリしないが、上田は「踏み込む力が強い分、後ろ脚が前脚にぶつかる状況だったのでは」と振り返っている。片脚が裸足のままで走りやすいはずはないが、それでもアエロリットは懸命にゴールを目指した。いずれも直線で一旦は先頭に立ち、0秒1差とクビ差の大接戦。着差が着差だけに何度も悔しさが込み上げたが、一方でアエロリットの勝負根性とスタミナに頭が下がる思いでもあった。秋へ向けて、何をすべきか。上田の心は決まっていた。

秋に再び一線級と戦うための体力づくり、併行して行われたダッシュ力強化メニューで
アエロリットは徐々に〝らしさ〟を取り戻した

安田記念後、アエロリットに課されたのは二の脚を強化するメニューだった。そもそも、前向き過ぎる気性を持っているだけに、調教では意識してリラックスさせてきた経緯がある。テンを強化する調教にするということは、引っかかって暴走する危険と隣り合わせだった。それでも「折り合いを気にするあまり控え気味になってしまっては持ち味が生きない」と考えた上田は、ダッシュ力の強化に力を注いだ。負荷のかかるトレーニングでトモを強化し、坂路でもテンから積極的に出していく。もちろん、道中は折り合いに注意しながら、である。6月8日の天栄移動から美浦トレセンに戻った9月7日まで、約3ヵ月間のスペシャルな夏季講習。みっちりと時間をかけた分だけ確実にアエロリットは成長し、徐々に〝らしさ〟を取り戻していった。

2018年 毎日王冠・G2 photo/Weekly Gallop

与えられた課題をすべてクリアし、迎えた4歳秋緒戦の毎日王冠。ここでアエロリットは圧巻のスピードを見せつける。札幌クイーンSの時と同様、抜群のスタートから先手を奪ってレースを引っ張ると、ラスト3ハロンを33秒8でまとめる完璧なレースぶり。文字通り『テン良し、中良し、終い良し』の3拍子揃った完璧な勝利だった。
この頃からアエロリットが競走馬として完成に近づいていたことは間違いない。この毎日王冠以降は勝利を挙げることができなかったが、2度目の安田記念も、毎日王冠も〝らしさ〟が溢れる全力疾走での2着だった。天皇賞・秋では行きたい気持ちをギリギリで抑えて、秋華賞以来となる2000㍍をこなしたばかりか、ゴール前で一旦交わされながら、再び盛り返して3着。ラストランの有馬記念だって、自分のレースを全力でやりきった結果だった。

2018年 毎日王冠・G2 photo/Weekly Gallop

上田
瞬発力勝負になると分が悪かったので、勝ち切れないレースも多かったですが、いつも一生懸命に走ってくれて、本当にえらいなって。ヴィクトリアマイルだってあのペースで行って5着に粘るなんて驚きましたし、天皇賞・秋はすごい勝負根性で感動しました。海外遠征もしてくれて、トップレベルで戦っていくための調整をアエロリットに教えてもらいましたね。現在、うちの厩舎にはイクイノックスがいるのですが、アエロリットの経験が生きている部分がたくさんあります。

天栄スタッフは競馬場に近い場所にいて、役割は多岐に渡ります。仕事をするうえで意識していることは?

上田
北海道の生産部門、イヤリング部門、調教部門の方々が繋いでくれたバトンをしっかりとトレセンに繋ぐということです。うちに来るまでに携わってきた方々、馬主さんの思い。それらを胸に刻んで、仕事をしています。とにかく無事に、馬の長所を伸ばして次のステージへ送り出すことが一番ですね。

2019年クリスマス。北海道へ間もなく旅立つアエロリットのそばには菊沢師、上田、騎乗担当スタッフのほか、有志で集まったクラブ会員十数名の姿があった。馬房の前でアエロリットと共に記念撮影をして、出発時間がくると全員で手を振り、馬運車が見えなくなるまで見送った。溢れてきた名残惜しさと感謝の気持ち。「みんなに愛されていたんだな。本当にありがたい」。上田にとって忘れられない1日となった。

生まれ故郷の日高町・川向で母となったアエロリットは21年に父ドゥラメンテの初仔、23年春に父シルバーステートの2番仔を出産した。いずれも母譲りの馬格をもつ立派な牡馬で、繁殖厩舎・村瀬&佐々木は「さすが仔出しの良い家系だ」とほっと胸を撫でおろした。初仔のイヤリング期間を担当した服部&沖田は「素晴らしい馬。来年の皐月賞候補になる」と意気込んでいる。調教厩舎・中川は同じノーザンファーム空港内の牡馬厩舎にいる初仔の様子を見聞きしながら「いつか牝馬が生まれてくれたらうちに来てくれるかな…」と少し先の未来を想像していた。
アエロリットを始め日々の現場の中で得た彼らの経験は、この先においても大いに生かされることだろう。

2023年3月 アエロリット(左)と2番仔 photo/R.Yamada
2023年1月 出産前のアエロリット photo/R.Yamada