RECRUIT OWNER’S PAGE

WITH OUR HORSES 馬とともに

競馬の世界では、華やかなステージで活躍する競走馬がいる一方で、残念ながらそこまで辿り着けなかった競走馬もいます。全ての馬に同じように愛情を注ぎ、一頭一頭の個性を踏まえた育成を施したつもりでも、それらが必ずしも結果に繋がらないことは少なくありません。しかし、それだけに結果が出た時にもたらされる喜びはとても大きく、悩みながら接して得た経験もまた、何事にも代え難い財産となります。私たちは、一頭の競走馬を通じて牧場スタッフが当時何を考え何を得たのかについて、この業界を志す人たちに向けて発信していくことも、とても大事なことだと捉えており、このたびライターの方々の協力をいただきながらこのページの作成にあたりました。このページの趣旨にご理解をいただき、その上で読者の皆様にとってより競馬への興味を深めるきっかけになれば幸いです。

Text/M.Shinohara

Rey de Oroレイデオロ

2014年2月5日生 牡 鹿毛
父 キングカメハメハ
母 ラドラーダ
〈競走成績〉 国内15戦7勝 海外2戦0勝

Text/M.Shinohara

2017年 東京優駿(日本ダービー)・GⅠ
photo/Weekly Gallop

2014年2月。父キングカメハメハ、母父シンボリクリスエス。
ディープインパクトと同じ牝系出身という血統馬が、早来・第7厩舎で誕生

繁殖厩舎 Voice岸川 学

レイデオロは、2014年2月5日、凍てつく寒さの中、早来第7厩舎で産声をあげた。厩舎長になって2年目の岸川学にとって、全てが手探りだった1年目を乗り越え、自厩舎が安定してきた時期でもあった。自分用に記録していたというビッシリと書き込まれたお産ノートを見ながら当時を振り返ってもらった。

岸川
母ラドラーダがウチでお産をしたのが初めてでしたし、これだけの血統馬ですからね、それはもう生まれる前から期待していましたよ。生まれ落ちの平均がだいたい55〜56キロ、体高は100~105センチ程度なので、54キロ、体高103センチで生まれたレイデオロは標準サイズと言っていいでしょうね。当時のメモに “馬体良好”と書かれているように、期待通りの良い馬が生まれてくれたとワクワクしたことを覚えています。

その後の成長は順調だったのでしょうか?

岸川
脚元に少し気になる点があり、装蹄師と相談しながら1ヶ月程矯正を施して、良くなってから放牧地に放せるようになった感じですね。狭いパドック生活だとうるさくなる親仔もいますが、母のラドラーダは比較的大人しく治療に付き合ってくれました。レイデオロはやっぱり子供ですからストレスが溜まって騒いだりすることもありましたけど、テンションが上がりそうな時は「ダメだよ」と諭すと理解してくれる頭の良さはありました。

母ラドラーダ

仲間たちと1ヶ月のブランクを経て広い放牧地に放たれたレイデオロは、今までのフラストレーションを発散するかのようにヤンチャ坊主へと変貌していった。

岸川
大きな病気や怪我はなかったものの、とにかくヤンチャで喧嘩傷が絶えませんでしたね。毎度のことなので「またやったか〜」程度のものでしたけど。夜間放牧を始める頃には馬体も大きくなり、生まれた時から良い馬でしたけど、更に惚れ惚れするほどに良い馬になっていきました。体質的には強かったと思うのですが、離乳してイヤリングに移動する日に初めて熱発して焦りましたよ。獣医の判断で移動には問題ないとなったので、そのまま移動して行きましたが、少し不安の残るお別れでしたね。

期待度の高さは不変も、
前向き過ぎる気性が次第に顔を覗かせる

イヤリング厩舎Voice迫 承孝

こうして当歳の9月、レイデオロはイヤリングY6厩舎へ迎え入れられた。当時サブを務めていた迫承孝(現在はイヤリング厩舎長)はキングカメハメハ産駒らしい筋肉質な馬体で、バランスの良さ、クビが太くスピードとパワーを兼ね備えていそう、という第一印象だった。世代の中でも高いレベルの馬という評判はイヤリングまで届いており、期待の反面、そのパワーとクビの強さに翻弄されることとなる。


熱発しているということでしたが、記憶にないので元気に到着したんだと思います。気性はキツく、とにかく収放牧が大変でしたね。馬見せ等で少しでも他馬と時間がずれると我慢できず、早く行きたいと突っ走って制御が効かないので怖いぐらいでした(笑)大事には至りませんでしたが、クラブツアー前日のスクーリングで放馬してしまったことも未だに言われますし、当日は二人曳きでなんとかやり過ごせましたが、やんちゃエピソードばかりで一筋縄ではいかない馬でしたね。

1歳夏

でもその前向きすぎる気性がレースに向いてくれたと。


そうですね、その点は本当に良かったと思います。王様タイプで攻撃性はなく、ただ自分の欲に忠実というイメージかな。飼い食いは良かったし体調はずっと安定していました。イヤリングの役目は、繁殖厩舎で大事に育ててもらった馬を順調に成長させ、人との関係性を良くしながらこれまで関わってきたスタッフの想いを背負って調教厩舎に渡す、ということだと思うので、役目は果たせたんじゃないかなと思っています。

いざ騎乗調教へ。能力の片鱗を示しつつも、
気性面のコントロールを含め管理が容易ではない日々

調教厩舎Voice大木 誠司

そして舞台はいよいよ競走馬に近付いていく。移動先となるのはノーザンファーム空港・A1厩舎。2012年のダービー馬ディープブリランテを手掛け、レイデオロの後はワグネリアン、ロジャーバローズと3年連続でダービー馬を育て上げることになる大木誠司(当時の調教厩舎長)が“噂の素質馬”の到着を待っていた。

大木
スラッと見栄えのする品のある馬で、あちこちからその高い評価は耳に入っていました。一番最初、ロンギ場で跨った時はダクの段階からハミを噛んで引っかかって、抑えるのに難儀したことは今でも鮮明に覚えていますよ。悪さをするわけではなくただ猪突猛進というか、ハミをかけても制御不能でこれは大変だったろうなとイヤリングでの苦労が偲ばれました(笑)

育成厩舎での課題はその行きたがる気性をコントロールすることから始まったということでしょうか?

大木
前進気勢の塊で、腕っぷしの強いベテランスタッフでも抑えられないぐらいでしたからね。自分もチャレンジしてみたけど坂路一本目で持って行かれて二本目を諦めたレベル。普通の馬なら前に馬を置いて壁を作るとか、併走させないとかやり方はいろいろありますが、レイデオロはそれだとしんどくて。最終的には、馬にとって一番リラックスできていたようだったので、キツかったですけど単走で進めましたね。走りに関してはスピードは抜群ですし、坂路で力みながらも体は柔らかく使えていて、手先は軽く伸びやかなフォームで良さそうな手応えは感じていました。

抑えられない気性を除けば当初の評判通り活躍しそうな馬だったということですね?

大木
う〜ん、まぁ他にもいろいろ(笑)調教中は周りが見えなくなるぐらい集中しているので他の馬に対して何かするわけではなかったですが、調教が終わって厩舎に帰っている途中で急に他の馬に驚いたり物見をしたり、ちょっと繊細な面はありましたね。こんな気性なので飼い食いが今ひとつで身にならなかった時期もありましたし、調教が進むとコンディションが落ちてしまったりもしたので、その辺りも注意が必要でした。でも、だいたい470キロぐらいをキープしていたので、今思えば自分で体を作るタイプだったのでしょう。これは走る馬の特長とも言えますね。

バトンは最終段階。
かつて母や兄弟を担当した経験のある岡崎のもとで、実戦に向けた調整が進められた

調教厩舎(天栄)Voice岡崎 謙

大木厩舎での特訓を卒業し、秋のデビューを目指し北海道を離れたのは5月になってから。ビッシリと注意点が書き連ねられた申し送り書と共にレイデオロは海を渡り、現役競走馬として長い時間を過ごすこととなるノーザンファーム天栄へ向かった。天栄6厩舎の岡崎謙厩舎長(現在は調教主任)は、母ラドラーダ、半兄ティソーナも担当しており、この血統を知り尽くした心強いパートナーだった。

岡崎
ラドラーダは別の人が乗っていたんですが走りたい気持ちが強い馬で、兄のティソーナも行きっぷりが良い“行きたがりファミリー”でしたね。なので、レイデオロに関しても大体こんな感じだろうと予想はついていましたが、走りたいという気持ちばっかりで指示を落ち着いて聞くことができない、人とのコミュニケーションの摩擦が大きい馬だな、という印象を受けました。

より実戦的な調教が求められる天栄でのスタートも気性のコントロールから始まった感じでしょうか?

岡崎
そうですね、でも、ゲート練習で一度トレセンに入厩した際、藤沢調教師から「この馬は走るぞ!走ることが好きだから」とお墨付きをいただいていたので、あまり押さえつけることはせず、トレッドミルなどを併用してカッカさせないように、走りたい気持ちを維持させながらといったメニューでした。デビュー前の2歳馬にしては軽めの内容にしていましたが、それでも馬体重が思ったように増えず、そこも心配の種でしたね。

2歳5月

9月に全ての態勢が整い美浦・藤沢和雄厩舎へ入厩、10月9日、東京芝2000m戦でのデビューが決まった。前向き過ぎる気性で2000mは意外だったが、今後を見据えての選択。繊細なレイデオロのために数日前から競馬場入りし、パドック〜馬場まで入念なスクーリングが行われた。1番人気を背負い迎えた当日は重馬場。返し馬までは危うい面も見え隠れしていたが、ひとたびゲートが開けば中団の位置から前を見つつポジションを上げ、直線半ばから追われるとしっかりと伸びて抜け出す優等生のレース運びで優勝した。

2016年 2歳新馬 photo/Weekly Gallop

岡崎
ソフトタッチである程度自由にさせてくれるルメール騎手とは手が合っていましたよね。重馬場を嫌がったり、行きたがる素振りを見せずソツなく初戦をこなしてくれたのでホッとしました。でも、レース後はまだまだ走り足りない!となかなか止まらなくて大変だったみたいです(笑)藤沢先生は「勝ったのが余程嬉しかったんだろうな」とおっしゃってくれて、期待が膨らみました。レース後はこちらに戻り次走まで調整しましたが、脚元に問題なく、ガクッときた感じもなかったので、のびのびと運動させることを心がけました。

デビューから無傷の3連勝。
そこから一段の成長を経て、世代の頂点に輝く

葉牡丹賞 (500万下)、翌年からGⅠに格上げになるホープフルS(GⅡ)を連勝。特にホープフルSでは後方で脚をためると、直線ではメンバー中最速となる35秒7の鮮やかな末脚で駆け抜け、ゴールを過ぎても更に加速し着差を広げていくように感じさせる内容。レイデオロの背中を知る岡崎、大木は共に同じ思いに駆られる。「あの脚が使えればダービーを勝てるのでは」と。年内負けなしの三連勝で終えたレイデオロに対するクラシックへの期待は大きく膨らんでいった。

岡崎
戻ってきてからは軽くソエが出たり多少の疲れはありました。本番の春まで余裕がありましたし、これまでのレースでの問題点ともう一度しっかり向き合う時間にしようと、じっくり乗り込みをしていました。メニューとしては1周1200mの周回コースを6周、だいたい20分ぐらいかけてジョギングする感覚ですね。この内容は古馬になってからも天栄に戻ってきた時のお決まりメニューとなりました。背中を畳んで走る癖があるので、ストライドを抑制しないようにいかに力みをとって体を使わせるか、そして馬体重を増やすこと。心身の成長を促すことに集中しました。

2016年 葉牡丹賞
photo/Weekly Gallop
2016年 ホープフルステークス・GⅡ photo/Weekly Gallop

そして迎えたクラシック一冠目の皐月賞。鮮烈な勝利を飾ったホープフルSと同じ舞台、馬体重もプラス8キロの484キロと課題はクリアしたものの、トライアル組に押されて5番人気と評価を落としていた。ジャンプ気味のスタートで流れに乗れず、後方からの競馬を余儀なくされたレイデオロは、勝負所でも進路が開かず行き場を失ってしまう。残り100mで馬群を縫って追い込んだものの、届かず5着。初めての敗戦だった。

岡崎
レース前後は難しいところを見せますが、ゲートに入ればレースに集中する馬です。皐月賞に関しては休み明けの影響があったのかもしれません。でも、ルメール騎手から「反応はゆっくりだったけど良い脚をしっかり使えたし、ゴールを過ぎてからさらに伸びた」というコメントをいただいて、ダービーへ向けての期待はむしろ高まりましたね。初めてのGⅠ出走だったにも関わらず馬は元気一杯でしたし、時間もあまりないことから、最終調整はトレセンに戻ってから。こちらではリフレッシュさせることに努めました。

2017年5月28日、その馬にとって一生に一度の日本ダービーの日がやってきた。東京競馬場には繁殖、イヤリング、調教の各部門のスタッフたちが一堂に集まり、昔話に花が咲いた。それはほとんど苦労話だったが、先出しでビューンと行ってしまった返し馬を見ながら「ああいうところだよな」と言葉を交わし、レイデオロを通じて紡いできた絆は心地良かった。スローペースを察知したC.ルメール騎手の好判断で向正面から進出を開始したレイデオロは3コーナーで2番手、直線余裕を持って追い出すと逃げ粘るマイスタイルを捕らえ、追いすがるスワーヴリチャードを振り切って、関わってきたスタッフの目の前で堂々とダービー馬に輝いた。なかなか止まらず戻ってこないゴール後はいつも通りだったが、今日だけは特別。勝者にだけ許されたウイニングランにはいつもより長い時間をかけた。

2017年 東京優駿(日本ダービー)・GⅠ photo/M.Shinohara

岡崎
天栄にいる自分にとって、北海道のスタッフたちと顔を合わせる機会はあまりないですからね。こんな最高の時間を共に過ごし、共に喜びあえたことは一生の思い出です。引退が近かった藤沢先生に初ダービー制覇をプレゼントできましたし、色々な意味で思い出深い一頭になりました。

海外を含め、数々のGⅠレースに出走。
着実な成長曲線を描く一方で、今までになかった一面も見せ始める

ダービーを制してもそれで終わりではなく新しい始まりに過ぎない。それぞれの想いを胸に、未来のダービー馬たちが待つ自分の仕事場に戻って行ったスタッフたち。レイデオロも天栄に戻り、早めの夏休みを過ごした。

岡崎
その時はさすがに力を使い切ったようで疲れて帰ってきましたね。春の激戦を全てリセットするつもりで体の芯からゆっくり疲れをとり、レイデオロ自身もかなりリラックスできるようになりました。坂路に入れるとまた“走りたがり”になってしまうので、軽くキャンターで流す程度にしていました。軽い運動の中でも見た目から筋肉の盛り上がりが充実して、良い状態で夏を越えられた。これなら秋のGⅠシーズンに向けて勝てる出来にあると自信を持って送り出しました。

秋緒戦に選んだ神戸新聞杯(GⅡ)は春の勢いそのままに快勝、その後は三冠目となる菊花賞へは駒を進めず、古馬に挑戦することに決まった。向かうはダービーと同じ舞台東京芝2400mのジャパンC。充実の3歳秋を迎え、同レース連覇を狙うキタサンブラックに次ぐ2番人気に推されていたレイデオロならば、古馬の壁を突破してくれると信じ、見守っていたが、先に抜け出した勝ち馬・シュヴァルグランに1 1/4馬身届かず惜敗を喫する。

2017年 神戸新聞杯・GⅡ
photo/Weekly Gallop

岡崎
ダービーの時は早めに長く良い脚を使って勝利したように、凄くキレる脚を持っている馬ではないので、ここはキレ負けと言っていいでしょうね。スタートもスパッと出たわけではないし、古馬の一線級と戦うということは、こういった“ほんの少しの差”が勝敗に大きく関わってくる。最後いい脚を使っているだけに、悔しかったレースでした

4歳になり、海外遠征にチャレンジしたドバイシーマクラシック(GⅠ)は初めての競馬場、初めてのナイター、初めてづくしで雰囲気に呑まれてしまった結果4着。前走京都記念、そしてドバイでもゲートでもたつきスローペースにひっかかる面を露呈してしまったレイデオロに新たな課題が見えてきた。

岡崎
これまでは調教だとかかり気味に走ってしまう馬でしたが、レースでは折り合いがついていただけに頭を悩ませました。二度目の夏を迎えて暑さに弱いこともわかりましたし、もしかしたらドバイでは寒暖差も響いたのかもしれません。軽めのリフレッシュに重点を置いていた今までよりも走り込み期間を長くとって、しっかり負荷を高めていく。走りたいという馬の強い意志を尊重する方向へシフトチェンジしていきました。

十分にガス抜きをして調子が上がってきた秋、挑んだオールカマーでレイデオロは1年振りの勝利を手にした。ここまでの戦績を見ても、どんな強い相手だって掲示板を外したことはない。ほんの少しズレていた歯車が噛み合った瞬間だった。天栄を離れトレセンに入厩した後も毎週美浦へ様子を見に行っていたという岡崎が「オールカマーに勝ったことで自信を取り戻したのか、馬が大きくなったように感じた」と話すほど好調子をキープしたまま迎えた秋の大一番、天皇賞・秋。現地観戦していた大木も「筋肉の張り、毛艶の良さは今までで一番良かった」とその充実振りを評価した。スムーズなスタートから伸び伸びとしたストライドで追走し、終始気分良さそうに走っている姿が画面越しでも見てとれた。後半ペースアップをすると待っていたとばかりに力強く坂を駆け上がり、念願の古馬GⅠ勝ちをおさめた。結果を見れば1〜4着までを4歳馬が独占、最強世代のダービー馬であることを証明してみせた。

間隔をあけて4歳最後のレースとなったのは有馬記念(GⅠ)。小回りの2500mは決して適性距離とは言えないまでもクビ差の2着に健闘、2018年度のJRA賞最優秀4歳以上牡馬の称号を手に入れた。

2018年 オールカマー・GⅡ
photo/Weekly Gallop
2018年 天皇賞(秋)・GⅠ
photo/Weekly Gallop

岡崎
レースを走るたびに馬が明らかにレベルアップしていて、良いことも悪いことも、全て経験として次走に繋がる、そんな時期でした。

しかし翌年、二度目のドバイ遠征ではじめて掲示板を外し、日本へ帰ってきた辺りからレイデオロに異変が生じる。あれだけ走りたがっていた馬が、走るのをやめてしまうのだ。岡崎の脳裏に、デビュー前に藤沢師から言われた言葉がよぎる。「早いうちから走りたい気持ちが強い馬は、走るのが嫌になる時期が来る。」そうならないように、気持ちを持続させるべく調整を続けてきたはずだった。今がそうなのだろうか?これを乗り越えるのはどうしたらいいのか?藤沢厩舎のスタッフとも連携を深め、試行錯誤の日々が始まった。

岡崎
軽めのキャンターで坂路に入ると今まで通り力んで行きたがる素振りを見せるのに、速いところへ移行しようとすると進んでいかない。GⅠレースでの消耗度は外側からだけでは計れないということを痛感しました。体は動けるのに気持ちが乗ってこない。状態は良いけど中からの膨らみが今ひとつで、自分で自分を守っているような印象でしたね。

それでも大負けしているわけではない。自身最大の武器でもある最後の爆発力が欠けたまま、それでもゴールを目指して走り続けた。しかし、一度切れてしまった気持ちは戻ることなく、有馬記念で引退することが決まった。

岡崎
最後の2戦は力を出し切っていなかったので全くダメージはなかったです。有馬記念を終えて帰ってきて、北海道に送るまでの1週間はウォーキングマシンのみの運動に留めていましたが、今までなら体力が余って大変だったのに、楽できるからラッキーとばかりに大人しく過ごしていて、そこまで仕事をしたくなかったんだなぁって(笑)3年半、大きな故障や病気もなく、そういう意味ではとても丈夫な馬でしたね。

2019年12月27日、苦楽を共にした厩舎スタッフ総出で社台スタリオンへ向かう馬運車を見送った。寂しさよりも一仕事終えた安堵感が上回る、清々しい別れだった。

2022年 社台スタリオンステーションにて
photo/Weekly Gallop

時は流れ、2023年夏、個性派のレイデオロを父に持つ子供たちが各地でデビューを果たしている。毎年種付け前にお守りを持って“レイデオロ詣”を欠かさないという繁殖厩舎長の岸川は「自分にとって初めて手がけたダービー馬ですし、ラドラーダは神を産んでくれたと感謝してもしきれないぐらい。初年度産駒は自厩舎で分娩予定だった馬にヒストリックスターがいて、絶対取り上げたいと待っていたのにちょっと他の厩舎の見回りに行っている間に生まれてしまって立ち会えなかったことが今でも悔しいです(笑)見栄えのする馬体の産駒が多く、サンデーサイレンスの血が入っていないので配合のし易さがポイント。もっと種付けが増えて欲しいですね」と猛烈アピール。携わった馬が初ダービー制覇という点ではイヤリング迫厩舎長も同じ。産駒に関しては「多くの産駒を比べたわけではないのではっきりこうだ!とは言えませんが、ウチにいる産駒たちは筋肉の張り、バランスの良さは父の特長を受け継いでいる印象ですね。そして父に似ず気性は扱いやすい!これに尽きます」最後に天栄の岡崎は「1歳時はムチっとしているタイプでも、ここに来る頃にはスッキリ綺麗なラインに成長するのは父に似ていますね。気性は・・・まぁ、曲がらなかったりヨレたり、父の派生型のような難しさを出している産駒も多いですが、管理のコツを掴めば力を出せると思いますし、父のことを思い出しながらあれこれ考えて、難しいながらもやりがいがありますよ」と、どの部門も『レイデオロの一番馬を自分のところから出したい』という強い気持ちで溢れていた。手がかかった分、愛され続けるレイデオロ。馬名の意味“黄金の王”の名に相応しい、人々を魅了する特別な馬なのだ。

2022年 社台スタリオンステーションにて
photo/Weekly Gallop