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WITH OUR HORSES 馬とともに

競馬の世界では、華やかなステージで活躍する競走馬がいる一方で、残念ながらそこまで辿り着けなかった競走馬もいます。全ての馬に同じように愛情を注ぎ、一頭一頭の個性を踏まえた育成を施したつもりでも、それらが必ずしも結果に繋がらないことは少なくありません。しかし、それだけに結果が出た時にもたらされる喜びはとても大きく、悩みながら接して得た経験もまた、何事にも代え難い財産となります。私たちは、一頭の競走馬を通じて牧場スタッフが当時何を考え何を得たのかについて、この業界を志す人たちに向けて発信していくことも、とても大事なことだと捉えており、このたびライターの方々の協力をいただきながらこのページの作成にあたりました。このページの趣旨にご理解をいただき、その上で読者の皆様にとってより競馬への興味を深めるきっかけになれば幸いです。

MARCHE
LORRAINE
マルシュロレーヌ

2016年2月4日生 牝 鹿毛
父:オルフェーヴル 母:ヴィートマルシェ
[競走成績] 国内20戦8勝 海外2戦1勝

Text/M.Shinohara

2016年産駒は牝馬豊作の世代だった。共に世界を沸かすこととなるラヴズオンリーユーをはじめクロノジェネシス、グランアレグリア。そして、華々しい活躍をしていた同期たちを追うようにダート路線で才能を開花させ、国際GⅠ馬に輝いたのが今回の物語の主役、マルシュロレーヌだ。

心身ともに母産駒傾向とは異なったタイプ、
スタッフの手を煩わせない優等生だった幼少期

「幼少期のエピソードが少ない馬の方が走る傾向にあるよね」
お産厩舎から移動してきた生後2ヶ月のマルシュロレーヌを担当した佐藤洋文厩舎長は、当時の記憶を必死に呼び起こした。母ヴィートマルシェの産駒は総じて母に似た筋肉質で硬めのタイプが多かったが、父オルフェーヴル似の細めでスラッとした馬体、動きも柔らかく、これまでとは正反対の姿だけは印象に残っている。となると、父親譲りの気性面が気がかりになるが、両親共に激しさを全面に出してくる気性だったにも関わらず、手がかかった記憶がない。気性も標準、成長も標準。それも裏を返せば順調で従順な優等生であったことの証明でもある。

「早い段階で馬の特徴を見極め、それぞれのステージに沿って成長させてあげるのが理想」
と佐藤が話すように、短距離・長距離、ダート・芝など、馬にはそれぞれ適性がある。当歳時からそれに特化した飼養が可能ならば早い時期から能力を最大限に活かすことができるだろう。しかし、当歳時のマルシュロレーヌはのちにダート界を席巻するような格好はしておらず「完全に芝馬だと思っていました。ただ、体重を測っても数字より大きく見せない身の詰まったタイプだったので、その辺りがのちの成長に関わってきたのかも知れない、と。永遠のテーマですね」
佐藤の元にこれまでにない成長パターンというデータを残し、離乳を経たマルシュロレーヌは次のステージへと巣立って行った。

母ヴィートマルシェ

「優等生」のまま過ごしたイヤリング時代、
身体は大きく成長し重厚感ある馬体へ

北海道らしからぬ猛暑が続いていた8月6日、中西智厩舎長(現在は育成主任)が管理するイヤリング厩舎へ移動。迎えた中西は、オルフェーヴルの2年目産駒ということもあり気性面を警戒していた。父の産駒はなかなかの曲者が目立ち、初年度は苦労させられたらしい。「蓋を開けてみれば拍子抜けするほど大人しい馬で、上背があり、前年ウチにいたラッキーライラックと似た雰囲気を持っていましたね」
イヤリング厩舎でまず課せられる課題は基礎体力づくりとなる夜間放牧だが、その年は猛暑の影響で放牧地の近くを流れる水路から蚊が大量発生し、毎晩当歳たちを攻撃。必要以上に体力を削られた馬たちのコンディションは日々悪化していった。涼しくなるのを待てば蚊もいなくなるだろう。しかし、運動させたい時期に適度な運動をさせることができない歯痒さが募る。そんな葛藤を抱きながら最終的には1ヶ月程夜間放牧を休ませるという結論に達したが、コンディションと同時に毛艶も悪くなってしまったマルシュロレーヌを立て直すためには、相当な時間を必要とした。

1歳夏

「食べたら食べただけ身になる馬でしたから、秋から冬に向けてたくさん食べさせてボディコンディションは良くなりました。良くなりすぎたのかも知れませんね」イヤリング入厩時はスラッと背の高さが目立っていたマルシュロレーヌは、年が明ける頃、この牝系らしいグラマラスボディへと変化していった。軽かった動きに重厚感が出て、放牧地ではジッと佇み自主的に動こうとする気配はない。慢性的な“太め残り”のまま馴致に突入した。「馴致」と言葉にしてしまうのは簡単だが、ここで拗れてしまうと後々まで響くため細心の注意を払って行われる。これまで人と馬が築き上げてきた信頼関係が一瞬で壊れてしまうことも十分に考えられるからだ。馬の方も今まで見せなかった我を出したりと個性が顕わになることがある。マルシュロレーヌの場合、馬体は大きく変わったが、無駄なことをせず、マイペースで手のかからない気性はそのまま「優等生」として1年1ヶ月過ごしたイヤリング厩舎を卒業した。

秘めていた闘争本能が遂に目覚める、
じっくりと時間を割き心身のバランスづくりに尽力

この年から厩舎長を任された佐藤信乃介は、記念すべき一期生の到着に心躍らせていた。マルシュロレーヌのファーストインプレッションは「良い馬だな」1歳牝馬ながら骨量、筋肉量も十分に映り、丈夫そうな印象を受けた。トモはやや緩めだったがそれは成長の余地レベル。申し送りに特記事項はなく「おとなしい馬だから」と聞いていた。確かに馬房内ではぼんやりしており、人間が馬房内に入っても耳を絞るだけで何か仕掛けてくるわけでもない。鞍を付けての馴致も素直に従い、これなら大きなトラブルもなく順調にデビューまで漕ぎ着けそうだと安堵した。1ヶ月かけて環境に慣らし、乗り運動に移行すると彼女の本質が徐々に明らかになってくる。乗り始めは大抵の馬がそうであるように身体が上手く使えずモタモタしていたが、他馬と併せて行くうちに秘めていた闘争本能に火が付き、燃え上がりすぎて気の強さを全面に出すようになっていった。
「モタモタしていた頃はやる気を引き出すことに注意を傾けていたのですが、我慢を覚えさせることへ方向転換。牝馬は力だけで御すことは難しいし、馬と喧嘩せず、馬優先でとにかく時間をかけて納得してもらうしかないんです」
牝馬厩舎一筋8年の経歴を持つ佐藤。これまでに培った経験から、調教を進めると同時にメンタルケアにも重きを置いた。手厚いケアが功を奏し、2歳を迎える頃には操縦性が格段に上がった。強い負荷をかけると飼い食いが落ちることもあったが、厩舎内での評価はうなぎ登りで「これは走るぞ」と期待が膨らんだ。
「牧場全体の評価はそこまでではありませんでしたが、自分たちの中でこれは1つ2つは勝ってくれるだろうと期待の1頭でした。ただ、GⅠを勝つ、ということまでは考えていませんでしたね」
ここまで頓挫もなく絵に描いたような順調さで早期デビューを意識し始めた3月、マルシュロレーヌに初めての試練が訪れる。左トモにできた血腫を切開するため、調教を休まざる得なくなったのだ。怪我の状態を見ながらウォーキングマシンとトレッドミルを併用した軽い運動、直前まで坂路や周回での調教を行っていただけに、体力を余したマルシュロレーヌは常にカリカリした状態に陥り、飼い食いも落ちた。

2歳6月

「競走馬として今後に影響するような大きな怪我ではないですが、馬にとっては初めてのトラブルだったので、精神的に不安定にはなりました。馬体も緩んでしまったし、一からリスタートするつもりで慎重に、じっくり馬と向き合う時間を持てたと今は思っています」
怪我の経過は良好、それでも佐藤は心身の健康を完全に取り戻すまで時間をかけ、調教を再開できるまで2ヶ月を要した。
北海道が一番いい時期と言われる5月、調教を再開すると、これまでの遅れを取り戻すかのようにマルシュロレーヌの成長曲線は一気に加速していく。動きは抜群に良くなり、精神的にも安定。いい時期に休ませることができたんだと佐藤は納得した。入厩時期が見えてきた9月に隣の厚真町を震源とする北海道胆振東部地震に見舞われ、強い揺れと数日の停電を経験したが、幸いにも牧場に大きな被害はなく、調教は淡々と続けられ“いつもと変わらない日々”を演出することで馬たちに大きな影響は出なかった。移動日から逆算して調教メニューは速い時計を課すことから下地を固めるフラットワーク重視へ移行、スケジュール通り10月初旬、ノーザンファームしがらきへ向かった。

芝で3勝を挙げるも驚きのダート転戦、
想像以上のパフォーマンスで新たな挑戦が始まる

その頃、しがらきの秋山遥厩舎長は微妙なプレッシャーを感じていた。今度来るマルシュロレーヌという馬に対してノーザンファーム空港勤務時代の先輩スタッフから「今年はこの馬に専念して乗ってきたから頼むな!」と連絡を受けていたからだ。ベテランスタッフしか乗れないような乗り難しい馬なのか?それとも、単に期待しているという意味なのか?判断がつきかねていた。競馬場への最前線舞台に到着したマルシュロレーヌはイヤリング厩舎にいた頃のような「優等生」に戻っていた。
「テンションは高めだったけど最初は誰にでも任せられるような乗りやすい馬でした。それは後々猫被ってただけだったとわかるんですけどね。人を見るようなところがある馬だったので手加減していたのかも」と秋山は振り返る。初めての場所、初めて会う人、優等生を演じながら周囲の状況を確かめていたのかも知れない。しがらきでの調整は順調にクリア、年末には栗東・矢作芳人厩舎へ入厩し、いよいよデビューの日を迎える。

2019年 3歳未勝利
photo/Weekly Gallop
2020年 桜島ステークス
photo/Weekly Gallop

2019年2月3日、舞台は京都芝1600m。新馬の番組が終わるギリギリで間に合った。中団待機から直線一旦先頭に立つもゴール前で交わされ2着という結果は「これならすぐに勝てるだろう」と安心させるのに十分な内容だった。しかしレース後左前脚に腫れが確認され、沈静化を待ってレース、使ってまた腫れるを繰り返し陣営の目算とは裏腹に初勝利まで5戦を要してしまった。スタート良く飛び出し、そのまま押し切って初勝利を掴んでからは福島、阪神と年を挟んで転戦し2連勝。勢いに乗って格上挑戦した福島牝馬ステークスでは9着に敗れている。「まだ重賞の壁は厚いかぁ」重賞を2戦こなしてしがらきに戻ってきたマルシュロレーヌ。肩を落とす秋山に「ダートの方が走るんじゃないか」という助言が耳に入ってきた。確かに帰ってくる毎にクビの力が強くなり、馬体もボリュームアップしてパワー型にはなってきているが、一線級のダート馬と比べればまだ線は細い。何よりこの気性。砂を被ったら嫌気が差してレースを止めるのではないかという心配もあった。「芝で3勝もしている4歳牝馬を今からダート馬に仕上げるのは難しいんじゃないかと思いましたし、そんな話もあるんだな、ぐらいの気持ちでした」とのんびり構えていたがダート転向の話は急展開、門別競馬場で行われるブリーダーズゴールドカップ(JpnⅢ)に登録したとの連絡が入った。「えーっ本当に使うの!?」秋山の驚きを他所にマルシュロレーヌの進路はダート路線へと大きく舵が切られた。結局同レースは選出されず出走は叶わなかったが、次走自己条件戦の桜島ステークスをダートのレースとは思えない鋭い末脚で楽勝してみせた。

2020年 桜島ステークス
photo/Weekly Gallop

北海道でレースを見守っていたノーザンファーム空港の佐藤は、このレースがマルシュロレーヌのレースの中で一番印象に残っているという。「出馬表を見た時、あの馬がダートを走れるのか?と半信半疑でした。中団からやや下げて、直線で外に出して後方からぶち抜いてくるとは驚いたし、この馬すごい!強い!!と大興奮でした」

その後のマルシュロレーヌは地方交流重賞の中心的な存在になり、大井のレディスプレリュード(JpnⅡ)をドロドロの不良馬場の中、他馬が止まって見えるような鮮やかな追い込みを見せ、ダート転向2戦目で早くも重賞ウイナーの仲間入りを果たした。つづくJBCレディスクラシックでJpnⅠ制覇に臨んだが、前の馬を捕らえきれず3着。来年への宿題となった。
1戦消化する毎にしがらきへ戻り、リフレッシュに努めていたのだが、この頃から馬が自信に溢れ、制御するのが難しい状態になっていた。“誰でも乗れる馬”から“腕っ節の強い精鋭しか乗れない馬”へ。それほどまでに牡馬顔負けの力強さとやる気が増していった。「マルシュロレーヌが戻ってくるとなったら筋トレを始めないと腕が持ちませんでした」強すぎる前進気勢をコントロールするため、重賞勝ち馬の牡馬2頭を壁にするマルシュロレーヌ包囲網で調教を行なったものの、わずかな隙間に突っ込んで壁を破る荒技をやってのける。かと思えば周回コースを1周するとピタッと止まり「もう終わりですよね」とばかりに勝手に厩舎へ向かって帰るオンオフのはっきりした馬だった。

2020年 レディスプレリュード・JpnⅡ
photo/Weekly Gallop

充実期を迎えた5歳時、
マルシュロレーヌの名は世界へと広がる

5歳の夏、マルシュロレーヌの姿はノーザンファーム空港にあった。帰郷の理由は、昨年選出漏れしたブリーダーズゴールドカップ(JpnⅢ)にリベンジするためだ。2年半振りの再会を果たした佐藤は心身共に大人になった管理馬に目を見張った。「華奢だったあの頃のイメージはどこにもなく、筋肉質でメリハリのある身体、カリカリはしていたけどすぐ落ち着いてくれて、状態はよかったです」札幌競馬場経由で門別競馬場へ移動し挑んだブリーダーズゴールドカップは前を壁にして最内で脚を溜め、直線でスッと抜け出すと持ったままの勝利。しがらきでの特訓の成果だった。「ここにいた頃は決して目立つタイプではなかったのに、こんなに強くなるとは・・・」レース後は連戦の疲れからくる背腰のケアに専念するためノーザンファーム空港で夏休みを過ごすことになった。佐藤をはじめとする関係者たちは「次走は昨年2着だったJBCレディスクラシックを目指すのだろう」と踏んで11月のレースに間に合うようスケジュールを調整していた。

2021年 ブリーダーズゴールドカップ・JpnⅢ
photo/M.Shinohara

ケアを始めて2週間が経過した頃、マルシュロレーヌの次走が発表される。「11月6日のBCディスタフ」
「BC!?11月3日のJBCではなく!?」これには佐藤も驚愕、同厩舎の僚馬ラヴズオンリーユーのBCフィリー&メアターフへの挑戦は早くから発表されていたものの、マルシュロレーヌに関しては誰もがJBCと疑わなかったからだ。そこからの佐藤の動きは早かった。本州へ戻すのとは訳が違う。コンディションを保つためには精神面の安定が不可欠だが、負荷をかけなければ仕上がらない。他馬と併せれば気が入ってしまう馬だけに、全ての調教が終わったあと1頭だけコースに出て調整を続けた。レース1ヶ月前にはノーザンファーム空港を出発「体調は良い意味で平行線。長旅になるけど頑張ってこいよ」と送り出した。
米国へはしがらきから鶴町獣医師が帯同し、現地での様子を皆で共有。そして現地時間11月6日午後4時、戦いの幕が切って落とされた。いつも通り後方で脚を溜め、3〜4コーナーで馬群が縮まると一気に加速。門別競馬場でもデルマー競馬場でも変わらぬ、マルシュロレーヌらしいレース運びで日本調教馬による史上初のダート国際GⅠ制覇を成し遂げた。

2021年 BCディスタフ・米GⅠ

しがらきでテレビ観戦していた秋山は喜びと同時にこれでもう引退か、と一抹の寂しさも感じていた。「ずっと同じ厩舎で過ごしていたラヴズオンリーユーはそのまま香港に向かい、マルシュロレーヌ1頭で帰ってきました。清々しい達成感というか、肩の荷が下りたというか、言葉では言い表せない気持ちになりましたね」そんな感傷に浸っていた矢先、次走が発表される。行き先は「サウジアラビア」。再び筋トレの日々がはじまった。

年が明けて1月22日、ラストランに向けて調整していたしがらきの坂路で、マルシュロレーヌ史上最速のタイムを叩き出した。「最後までいろいろと衝撃的な馬でしたね。サウジカップの後は直接北海道へ戻ると聞いていたので、厩舎スタッフ総出で送り出しました」
秋山をはじめとするしがらきスタッフの激励を受け出国したマルシュロレーヌだったが、ラストレースとなったサウジカップでは直線伸びを欠き6着、有終の美を飾ることはできなかった。


3月10日、マルシュロレーヌは先に引退したラヴズオンリーユーの待つ故郷へ帰ってきた。実はこの2頭、切っても切れない絆がある。ノーザンファームイヤリング時代から同じ放牧地で過ごし、育成で一旦離れ離れになったものの、しがらきの厩舎、矢作厩舎でも常にお互いの顔が見える馬房で暮らしていたからだ。
そんな環境下で繁殖牝馬としての生活をスタートさせたマルシュロレーヌ。初年度に迎えた配合相手はBCスプリントなどの勝ち馬ドレフォン。BCカップルから誕生した産駒がデビューする頃には再び母の偉業がクローズアップされることだろう。マルシュロレーヌが築いた今までにない蹄跡、世界との距離を縮めた功績は計り知れない。

2022年9月 ノーザンファームにて