WITH OUR HORSES 馬とともに
競馬の世界では、華やかなステージで活躍する競走馬がいる一方で、残念ながらそこまで辿り着けなかった競走馬もいます。全ての馬に同じように愛情を注ぎ、一頭一頭の個性を踏まえた育成を施したつもりでも、それらが必ずしも結果に繋がらないことは少なくありません。しかし、それだけに結果が出た時にもたらされる喜びはとても大きく、悩みながら接して得た経験もまた、何事にも代え難い財産となります。私たちは、一頭の競走馬を通じて牧場スタッフが当時何を考え何を得たのかについて、この業界を志す人たちに向けて発信していくことも、とても大事なことだと捉えており、このたびライターの方々の協力をいただきながらこのページの作成にあたりました。このページの趣旨にご理解をいただき、その上で読者の皆様にとってより競馬への興味を深めるきっかけになれば幸いです。
LYS GRACIEUXリスグラシュー
2014年1月18日生 牝 黒鹿毛
父:ハーツクライ 母:リリサイド(FR)
[競走成績] 国内19戦6勝 海外3戦1勝
Text/R.Yamada
〝世界に通用する競走馬〟は1日にして成らず。
リスグラシューの軌跡を振り返ると、場面が切り替わるごとにホースマンたちの温かい手が見えてくる。母と過ごした繁殖厩舎時代。成長期を過ごしたイヤリング厩舎時代。 初めて人を乗せた調教厩舎時代。現役の多くの時間を過ごしたNFしがらき。課題を克服して、ひとつ階段を上がる時、そばにはいつもノーザンファームのスタッフがいた。
いつどんな時も食べられる体に 海外GⅠ制覇への道のりはここから始まった――
繁殖シーズンを間近に控えた2013年晩秋。繁殖厩舎を預かる岡崎友和(繁殖主任)たちスタッフは、ひたすらに想像を膨らませていた。その対象はまだ目には見えない、母馬のお腹の中にいる仔馬たち。現状のサイズはどうか、残りの3、4カ月でどの程度大きくなりそうか。母馬の産歴記録や種馬の傾向など、あらゆる記憶とデータを駆使して、まだ見ぬ子どもの姿をイメージしていた。それは例えば給餌の際、「母のコンディションを保つにはこの飼料をこの量」、「お腹の子へ栄養を届けるためにはこの飼料をこの量」と調整する際の指標になる。『リリサイド14』=リスグラシューの場合、母はフランスで走っており、現役時の姿を正確に知ることは難しかったのだが、初仔プルメリアスター、2番仔レイリオンと2頭分の産歴データが蓄積されていた。限られた情報と記憶ではあったが、出産後の母の馬体重や、姉2頭のサイズから3番仔に必要な栄養量を推測し、十分なケアが施された。
年が明けた1月18日、リスグラシューはおおよそ岡崎らが想像した姿に近いサイズで生まれてきた。決して大きくはなかったが、姉2頭よりも体高があり、父ハーツクライの牝馬らしい、脚長で胴伸びのある体型。良い意味でまとまりきっておらず、先々の変化を予感させた。
順調に体重を増やして、5月のGW明けから夜間放牧をスタート。生まれ月相応のメニューをトラブルなくこなし、思い描いていたとおりの成長曲線をたどった。ここまで十分に優等生の部類だが、当時の様子について岡崎は「いたって普通で、とくに目立つ子ではなかった」と振り返る。
これは予想していた答えだった。牧場の中、とくに繁殖厩舎において目立つ存在というのは、最上級の誉め言葉として使われることよりも、真逆の意味をもつことが多い。心配事が絶えないなど、手のかかる子は記憶に残るが、何の心配もなく育ってくれた子は印象に残らないもの。大成した馬の多くが後者だ。
「不安要素を作らず、余計なストレスをかけずにイヤリングに送ることが私たち繁殖厩舎の役割。将来はアスリートになるので、しっかりと運動して、食べられる体を作ってあげることを目指しています」
例えば、同日に離乳した当歳馬2頭をひとつの馬房に入れて、寝食を共にさせること。母と離れた寂しさやストレスを軽減して、どんな時でも食べることを忘れないようにするためにスタッフと相談して取り入れた策だった。
「リスグラシューはモリモリ食べる、というタイプではなかったですが、この馬なりに食べて、順調に成長してくれました。とはいえ、あの当時、姉たちと比べて格段に良かったかといえば、そこまでは思わなかった。印象が変わったのは、もう少し先のことでした」
目覚め始めた名馬の血
メンタルに課題を残しながらも
人々を魅了したオーラと好馬体
離乳後もしっかりと食べて順調に体を増やしたリスグラシューは2014年9月、中間育成を担うイヤリング厩舎へ移動した。当時の厩舎長だった沖田幸治は馬運車を降りてきた『リリサイド14』の姿を見て、直観的に「すごく良い馬がきた」と感じていた。とくに目を引いたのは見栄えのするあか抜けた馬体とフレームの美しさ。他のどの馬にも似ていない独特の雰囲気を持った馬だった。
「インスピレーションみたいなものなので言葉にするのは難しいのですが、本当に良い馬でした。ディープインパクトと同じで細身だけど体高がしっかりとあるので、華奢だとか小柄だとかの印象はなかった。デビューしてからはサイズのことを言われましたが、少なくともイヤリング時代にサイズや馬体重を心配したことは一度もない馬です」
当時、むしろ気がかりだったのは気性の部分だった。日常の世話で手がかかるほどではなかったが、ちょっとした状況の変化に敏感で、物見をしてパッと逃げる。一度イレ込むと収拾がつかなくなる一面があり、クラブツアーや馬見せの際は必ず技術の高いスタッフが受け持った。
「もともと神経質な面があって、それが唯一の不安材料でした。そういう馬はいますし、手に負えないほどのレベルではなかったのですが、期待が大きかった分、心配はしていました。イレ込むと飼い葉を食べなくなることもあったので、できる限り、そういう場面を作らないように気を配っていました」
幸い、大きなアクシデントはなく、馬体は順調に大きくなっていった。クラブツアーでお披露目する頃には馬体重は480キロに迫り、好馬体はさらにピカピカに。久しぶりにリスグラシューの姿を見た岡崎はその変貌ぶりに驚き、「ひょっとしたら…」と期待を膨らませた。このタイミングで矢作調教師が高評価を発信したことも手伝って、数いる名牝ファミリーやディープインパクト産駒をおさえて、キャロットクラブの世代人気№1に。リスグラシューへ注がれる視線は日ごとに熱を帯びていったのである。
ツアーが終わり、調教厩舎への移動スケジュールが固まってくると、各馬に与える飼い葉にトレーニング用の飼料がひと掴みほど混ぜられた。たとえ環境が変わっても、味の変化が少なければ食べることをやめずに済む。1日でも途絶えることなくアスリートとして必要な栄養を補給すること。〝食〟はここでも重要テーマだった。
未完成だった体と心 それでも図抜けた心肺能力でクラシックを戦い抜いた
誰もいない昼下がりの調教厩舎。トレーニング後の様子を厩舎長の野崎孝仁が1頭、1頭、確認していたときのことだ。日中のため電気はついておらず、馬房内はわずかに光が差す程度だというのに、リスグラシューの目はギラギラと輝いていた。体中からエネルギーが放出されているようでもあり、「ああ、この馬は何かが違う」と感じた瞬間だった。
入厩当初は華奢な印象があったものの、乗り出してみると柔らかく、見た目以上にしっかりしていた。人の指示をしっかりと聞いてくれて、初期馴致~ロンギ場までは至ってスムーズ。燃える気性が顔を覗かせたのは、周回コースに出て、そろそろ坂路に行こうかというタイミングだった。坂路を走っている時はまだいいのだが、帰り道になると途端にチャカチャカして、余計なエネルギーを使ってしまう。少しずつ飼い葉を残すようになり、馬体重はじわじわと目減りしていった。調教が進んだ牝馬では見られることだが、時はまだ11月半ば。野崎たちが想定していたタイミングよりもちょっと早かった。
「年末年始に1週間休んで、どこまで戻るかなと見ていたのですが、思っていたよりも戻らなくて。でも心肺機能が高いので動けるし、細くならないように気にかけながら進めることができました。2月にはハロン15-15のペースで乗り出して、やっぱり平気で動ける。能力は相当なものでした」
当初は秋始動のイメージでNFしがらきや矢作調教師・クラブと話をしていたが、春以降の調整が順調に進められたこともあり、急遽、6月中旬にNFしがらきへの移動が決まった。馬体重は上下しながらも450~460キロをキープ。細すぎることはなく、いよいよデビューへ向けて動き出すことになった。
レースに向けての最前線・NFしがらきに到着したリスグラシューを待っていたのは、より実践に近い環境だった。北海道よりも人馬の往来が多く、初めて目にする物や音も多い。屋外の馬場で時計を出すのも初めてなら、ナイター照明の下で走るのも初めて。若駒たちはここでひとつひとつ課題をクリアしていくことになる。
「トレセンは行き交う馬の数が圧倒的に多いですし、幅広い世代がさまざまなメニューを同時間帯にこなしますので、最初はどうしても戸惑います。こちらの環境に慣らして、トレセン入厩後のストレスを軽減できるように、気落ちする要素を1つでも減らして送ってあげたいと考えています」(NFしがらき調教主任・中﨑健介)
幼い頃から敏感な一面があり、心身ともに未完成だったリスグラシューにとってはここが第一関門だったのかもしれない。ただ、ここに至るまでの時間と経験が、ぎりぎり我慢できる境界線のラインを押し上げていた。時おりピリピリとした一面を見せながらも人間の指示はしっかりと伝わった。トレーニング後の飼い葉も時間がかかることはあっても残すことはほとんどなかった。
「多少ピリピリと神経質なところはありましたが、許容範囲のもの。伸びがあって、キレイなフォームで走り、騎乗したスタッフみんなが良い馬だと言っていたのを覚えています。当時はまだ華奢なところもありましたが、体幹がしっかりしていた。レベルの高い馬だと感じていました」
確かな能力は2戦目のレコード勝ちであっさりと証明された。さらに3戦目のアルテミスSで重賞初制覇。沖田(イヤリング厩舎)は「やっぱりすごい馬だった」と安堵し、普段は控えめなことしか言わない野崎(調教厩舎)も「きた、これはきた」と大きなタイトルを意識した。
だが、ここからの道のりは意外にも長かった。
年が明けて3歳春。レースで力みが見られるようになったリスグラシューはなかなか体を増やすことができず、桜花賞2着、オークス5着。大きく負けることはなかったものの、タイトルを獲ることなく春クラシックを終えた。オークス後に休養で戻ってきた当時の様子について野崎は「ギリギリの体、精神状態だった」と振り返る。まだ成長途上だったこともあるのだろう、この休養では疲れを取ることに主眼をおいた結果、「攻めきれず、後手に回ってしまった」。ただ、このほろ苦い経験と後悔は4歳夏の休養で生かされることになる。
放牧→トレーニング→放牧の日々、
ONとOFFを繰り返しながら身体とメンタルが鍛えられた
4歳春の安田記念後、再びリスグラシューを自厩舎に迎えた野崎はすぐに蹄鉄を脱がし、昼夜放牧を取り入れたメニューを用意した。レースや調教で力みながら走っていたため、ハミを緩めてリラックスさせた状態で長い距離を乗り込み、トレーニング後は再び放牧地へ。並の馬であればヘコたれてもおかしくないハードな内容だったが、リスグラシューはケロリとこなした。みるみる体つきが変わり、当時の馬体重は初の500キロ超。成長のタイミングと合致したことで、「うまくハマった」。帰厩の日が近づくと坂路2本を週3日、他の日はひたすら長い距離を乗り込んだ。
間もなく移動というタイミングで北海道胆振東部地震に遭遇する不運はあったものの、リスグラシューと野崎がトレーニングを休んだのは震災当日のみ。たびたび余震が発生する中、ただ1頭、坂路入りして体を緩めないように調整を続けた。
やりたかったことをやり尽くして迎えた4歳秋。リスグラシューはついにGⅠタイトルをつかんだ。ずっと見せてほしかった軽やかで、伸びやかなフォーム。NFしがらきのスタッフ、北海道から駆けつけた野崎が見守る中、まるでエンジンを積み替えたかのような猛烈な加速で、誰よりも早くゴールに飛び込んだ。タイム差はなくても大きなクビ差。人馬で積み重ねてきた時間がそこに集約されていた。
岡崎(繁殖厩舎)は言う。「ゴール前の大接戦。例えばその数センチの差は人間の指示をきけた分、きけなかった分の差かもしれない。生まれた時から競走は始まっていて、バトンは繋がっている。僕たちがサボるわけにはいかない」
沖田(イヤリング厩舎)は言う。「持って生まれた性格や気性を変えることは難しいかもしれない。でも、感情の沸点をほんの少し上げることができれば、それはきっと次に携わる人を助け、馬を助けることになる」
野崎(調教厩舎)は言う。「3歳夏の休養における後悔。でも、それがあったから4歳夏の休養でできたことがあり、そこで経験したことはまた次世代に生きている。誰が乗っても力を出せる、乗りやすい馬を送り続けたい」
肉体的にも精神的にタフになったリスグラシューは以降、北海道に戻ることなく、世界の舞台を目指すことになった。矢作厩舎としっかりとコンタクトを取りながら、さらなるスケールアップを担ったのはNFしがらきのスタッフたち。これまで多くの現役馬を海外へ送ってきた経験を生かして、検疫期間を見据えた調整とケアを入念に行い、2度の香港遠征(2着1回3着1回)、国内GⅠ2勝目となる宝塚記念制覇をアシストした。負けたレースも勝ったレースも、すべては未来の糧になる。5歳秋を迎えたリスグラシューはもう周囲のちょっとした変化では動じなくなり、「これまで以上に負荷をかけた調教ができるようになっていた」(NFしがらき・中﨑)。
その先にあったのが、19年豪GⅠコックスプレートの圧勝劇だ。不利といわれる大外枠も、わずか173mの直線も、競走馬として完成に近づいていたリスグラシューにとっては問題ではなかったのだろう。最終コーナーで先頭に並びかけてエンジンを切り替えると、7.5キロも斤量が軽い相手を一瞬で置き去りにしてみせた。日本のホースマンたちの夢がまたひとつ叶った瞬間だった。
日本馬初の快挙の余韻に浸る間もなく、凱旋・引退レースとしてプランニングされたのが約2カ月後の有馬記念だった。その報を聞いた中﨑は「本当に?」と驚きながらも、すぐに検疫場所のあるJRA競馬学校へ騎乗スタッフと共に向かった。遠征明けのケアはもちろんのこと、レースまでの時間を考えると検疫期間中も乗り続ける必要があったからだ。
「3度目の遠征ということあり、馬も慣れていたのでしょう。検疫所でも落ち着いていて、馬体はそれほど落ちていませんでした。こちらに戻って本格的に乗り出すとハリが出て、動きもどんどん良くなって。これなら、と期待をもって送り出しました」
海外遠征帰り。引退レース。同じノーザンファーム生産馬であるアーモンドアイとの初対決。チームの力を結集して態勢は整っていたが、自信満々だったといえば、それはきっと嘘になる。ここで負けて年度代表馬になれないなら、納得できる。そんな思いも心のどこかにあった。
2019年12月22日、曇り・良馬場の中山競馬場。リスグラシューは過去最高体重の468キロで出走した。
1周目は中団インで折り合い、鞍上・Dレーンの巧みなコース取りでスムーズに直線外へ。ラスト200mから豪快に脚を伸ばすと、後続の蹄音はあっという間に遠ざかった。早々に勝利を確信したジョッキーはゴール板のかなり手前で追うのをやめ、左手を高々と突き上げた。ここまでの走りをされたらもう誰も敵わない。完璧すぎるラストランだった。
2021年春、生まれ故郷でリスグラシューは母となった。親子のそばにはもちろん、岡崎ら繁殖スタッフがついている。
さあ、最強牝馬伝説・第2章の始まりだ。