WITH OUR HORSES 馬とともに
競馬の世界では、華やかなステージで活躍する競走馬がいる一方で、残念ながらそこまで辿り着けなかった競走馬もいます。全ての馬に同じように愛情を注ぎ、一頭一頭の個性を踏まえた育成を施したつもりでも、それらが必ずしも結果に繋がらないことは少なくありません。しかし、それだけに結果が出た時にもたらされる喜びはとても大きく、悩みながら接して得た経験もまた、何事にも代え難い財産となります。私たちは、一頭の競走馬を通じて牧場スタッフが当時何を考え何を得たのかについて、この業界を志す人たちに向けて発信していくことも、とても大事なことだと捉えており、このたびライターの方々の協力をいただきながらこのページの作成にあたりました。このページの趣旨にご理解をいただき、その上で読者の皆様にとってより競馬への興味を深めるきっかけになれば幸いです。
エアグルーヴと
そのファミリーAIR GROOVE AND HER FAMILY
エアグルーヴ
1993年4月6日生 牝 鹿毛
父:トニービン 母:ダイナカール
[競走成績] 国内19戦9勝
Text/Y.Yamada
『ヒトがウマを創り、ウマがヒトを育てる。』昔から馬産地に言い伝えられている言葉だ。
1968年12月に旧社台ファームが輸入し、日本の地を踏んだ英国産の繁殖牝馬パロクサイド(1959年生)。英国2冠馬にしてチャンピオンサイアーにも輝いたネヴァーセイダイと、愛国1000ギニー2着フェザーボールとの間に生まれた良血牝馬をたどる旅は、42年ぶりの日本競馬史上2例目となる母仔オークス制覇、そして26年ぶりとなる牝馬の年度代表馬、さらに父仔海外G1制覇やチャンピオンサイアーへとたどり着く。それは、ひとつの牧場という枠を超えて、日本の血統地図を塗り替える物語でもあった。
ダイナカールからエアグルーヴへ
パロクサイドの孫にあたるダイナカール(1980年生、父ノーザンテースト)がオークスを勝った1983年春、旧社台ファーム早来に入社した1人に、現在はノーザンファームイヤリング部門の育成主任、櫻井一夫がいる。イヤリングとは離乳から調教厩舎へと移動するまでの約1年間を過ごす場所。競走馬に至るまでのライフステージにおいては、もっとも長い時間を過ごす場所であり、櫻井の言葉を借りれば「(人間に例えれば)幼稚園から中学校くらいまで」という最も多感で、人格形成においては重要とされる期間を過ごす場所だ。「私が入社したこの年は、桜花賞もシャダイソフィアが勝利していました。当然、彼女たちの育成時代は知らないのですが、春のクラシックが終わった夏に2頭が牧場に戻ってきたのです。当時、調教厩舎に配属となって、気性が強いダイナカールにはなかなか触らせてもらえませんでしたが、シャダイソフィアにはたった1度だけですが、乗せてもらったことを今でも覚えています。今思い出そうとしても大人しい馬という印象しかありませんが、とても嬉しかった」と当時のことを思いだしながら少年のような笑顔になった。GⅠ優勝馬に、中学校を卒業したばかりの新人ライダー。1頭の名馬が人間に与えた自信と経験は舌筆に代えがたいものがある。だから、ダイナカールの第4仔となるエアグルーヴ(1993年生、父トニービン)が1歳10月、ノーザンファーム空港の調教厩舎に来た時も直接的には知らないかもしれないけれど「自分は、この馬の母親を知っている」と思ったそうだ。
当時、エアグルーヴにはオーストラリアでジョッキー経験のある専属パートナーがいて、その背中を実際に感じることができなかったが、同じ調教厩舎に籍を置くものとして、ダイナカールゆずりの激しい気性を併せ持つエアグルーヴを、どこか懐かしい目で見ていたそうだ。
2歳5月に栗東の伊藤雄二厩舎に入厩したエアグルーヴは、同年7月、武豊騎手を背に札幌競馬場でデビューすると、圧倒的人気に応えるようにデビュー戦を5馬身差で圧勝する。桜花賞こそ熱発で回避せざるを得なかったが、史上2組目、42年ぶりの母仔2代連続オークス制覇を成し遂げる。夏を栗東トレセンで過ごし「第1回秋華賞」を秋初戦に選ぶも、パドックから激しくイレ込み惨敗。しかも、レース後に骨折が判明してノーザンファーム空港へと戻ってきた。「デビューしてからノーザンファームに戻ってきたのはこのときが最初で最後でしたし、この時もやはり乗るのはオーストラリア人ライダー。でも、当時の獣医師以下みんなでケアして送り出しました。だから、8か月の休養明け、骨折からの復帰初戦となったマーメイドSを勝った時はうれしかったです」と櫻井は誇らしげな表情になった。
エアグルーヴと、悲運の半弟モノポライザー
そんなエアグルーヴに魅了され「今の私があるのは、エアグルーヴのおかげと言っても過言ではありません」。そういうのはノーザンファームしがらきで5人の厩舎長とともに140馬房を管理する調教主任の中﨑健介だ。きっかけとなったのはエアグルーヴがデビュー2戦目に選んだ「いちょうステークス」(現在のサウジアラビアRC)。最後の直線で致命的な不利を受けながらも、驚くべき瞬発力と勝負根性を発揮して勝ったエアグルーヴの強さに衝撃を受けたという。
どうしても実際にエアグルーヴを見たくなり、父親に頼み込んでエアグルーヴが出走するオークス当日の東京競馬場へ。そこで初めてみたサラブレッドの美しさに魅了された。「当時は中学生。それほど競馬を詳しく知っていたわけではなかったので、順調さを欠いて中84日のローテーションの影響などは全く知らず、負けることは想像していませんでした。それでも、その強さに感動しました」。そのエアグルーヴを追いかけるようにノーザンファームの門を叩き、調教スタッフとしてエアグルーヴと、そのファミリーを手掛けるようにもなった。初めて身近に見たエアグルーヴは「光っていて、やはり美しかったです」と懐かしむ。
エアグルーヴには6歳違いの弟がいる。ちょうど現役生活を終えたエアグルーヴが牧場に戻った春に産声を上げたモノポライザー(1999年生、父サンデーサイレンス)だ。ダイナカールが生んだ2頭目の牡馬で、結果的には最後の産駒となってしまったこの馬に強い印象を持っているはノーザンファームに3人いる繁殖統括主任の1人で早来エリアを受け持つ長浜淳と、ノーザンファーム早来の調教主任、山内大輔だ。「モノポライザーを生んだ春にダイナカールが亡くなってしまったので、乳母によって育てられた馬です。大人しい馬でしたが、とにかくバネが素晴らしい馬で、送り出すときには大きな夢をみました」と長浜が言えば「まだ入社間もないときでしたが、柔らかくて、力強いフットワークをする馬。当時、新人の自分でも乗り味の素晴らしい馬だということは理解できました」と山内がフォローする。
2歳11月にデビューしたモノポライザーは、スピードと瞬発力を武器に新馬、自己条件平場戦、そして若駒ステークスと勝ち進み、不敗のまま皐月賞へと駒を進めたが、中間に熱発した影響もあったか3番人気を大きく裏切る敗戦を喫し、その後は皐月賞以前の輝きを取り戻すことはできなかった。その後、2つの勝ち星を積み上げたものの、7歳夏のKBC杯を最後に佐賀競馬へと転出。佐賀競馬では14戦して9勝2着2回3着2回という成績を残したが、骨折によりその生涯を閉じている。その当時、佐賀競馬への転出が決まった際、モノポライザーにかかわったノーザンファームのスタッフからは「競走馬として期待通りの結果は残せなかったかもしれないけど、素晴らしい素質を持っていた馬。種牡馬になって子供を残してほしい」という声があがったことを、取材者は覚えている。
エアグルーヴからアドマイヤグルーヴへ
さて、牧場に戻ったエアグルーヴは、受胎率が芳しくなかった祖母シャダイフェザー(1973年生、父ガーサント)、エアグルーヴを送り出すまでは決して順調とはいえなかった母ダイナカールと異なり、繁殖牝馬としても優等生だった。その配合相手に用意されたのは99年当時、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで4年連続リーディングサイアーを続けていたサンデーサイレンス。
ここで少々余談になるが、現在ノーザンファームの配合は複数の責任者による「配合会議」で決定される。現在、その1人となっているのが前述の長浜だ。「エアグルーヴは厩舎長として扱ったことがありますが、当時は配合を決める立場ではありませんでした」と前置きしたうえで「現在は、繁殖牝馬の状態を確かめたあと、それまでの産駒の傾向などを踏まえて希望を出し合います」という。配合に関しては「成功方程式があるわけではないので、それぞれの馬で各責任者たちの考え方も違います。芝かダートかという大きな括りもありますが、その中で長所を伸ばすような配合。欠点を補うような配合。種牡馬と繁殖牝馬の馬格、相性みたいなものも当然ありますが、でもやっぱり当日に配合希望種牡馬が空いているかどうか、というのが1番大きいですね」と苦笑い。そんな長浜は、今エアグルーヴの血を引く繁殖牝馬の配合相手を選ぶとしたら、という問いかけに対して「これまでもそうだったと思いますが、まずはクラシックを狙えるような種牡馬を考えます」という答えが返ってきた。
だから、サンデーサイレンスとの配合は自明の理であり「必然的な夢の配合」。そこから生まれたのが「エアグルーヴの2000」ことアドマイヤグルーヴだった。この馬は出産予定日よりもわずかに早い4月30日に産声をあげ、その2か月と10日後に開催された「セレクトセール2000」に上場番号33番として上場されている。 セール前から話題となっていた馬だけに7000万円というファーストビッドに対して「1億円」という声。すかさず「1億5000万円」。おそらく時間にして5秒もしないうちに倍以上に跳ね上がった。結果は牝馬としては当時国内最高額となる2億3000万円で落札されている。
栗東の橋田満厩舎からデビューしたアドマイヤグルーヴは2歳11月のデビューから不敗のまま勝ち進み、新馬、エリカ賞、若葉Sと3連勝。体調整わず牝馬三冠はスティルインラブの引き立て役に回ってしまったが、エリザベス女王杯で同馬に勝利し留飲を下げている。
そのアドマイヤグルーヴの誕生に立ち会ったというのが五十嵐悟だ。オーストラリアでいくつもの牧場で経験を積み、それらを活かしてノーザンファームに入社。現在はノーザンファームの遠浅繁殖エリアにいる繁殖厩舎長の1人として、強く、丈夫な馬づくりを実践している。「秋に移動してきた牝馬が、翌年に出産するまでの半年弱。血統背景を鑑みてお腹にいる見えない胎児の成長を考えます。十分な放牧と飼い葉そして経験に基づく個別管理で牝馬たちがハッピーに暮らせるように心掛けています」という。そんな五十嵐がノーザンファームに入社した、その初年度に産声を上げたのが、のちのアドマイヤグルーヴだった。「生まれたばかりとはいえ、とても柔らかい動きをする馬でしたし、母のエアグルーヴはとても賢い馬で、私が扱っていたときは受胎も良く、子育ても上手でした。基本的には種牡馬の特徴を引き出すタイプだったのですが、顔、とくにキリっとした目や、シャープな鼻筋のあたりは『ああエアグルーヴの仔なんだな』と思わせるところがあり、今でも強く印象に残る母仔でした」と懐かしみ「このエアグルーヴと、そのファミリーは総じてオンオフがはっきりしていて、嫌なものは嫌と自己主張が強いタイプが多かったです。気性的にも気高く、いわゆるお嬢様タイプが多かった」と表現してくれた。
その後もエアグルーヴにはサンデーサイレンスとの配合が重ねられたが、4年目シーズンは国内供用2年目を迎えていたフレンチデピュティ、5年目シーズンはサンデーサイレンスの代表産駒の1頭ダンスインザダークと配合され、2004年の春、黒鹿毛の牡馬を出産した。
ザサンデーフサイチ。この馬を「思い出の1頭」として挙げたのが長浜だった。「サンデーサイレンス産駒がいなくなって最初のセレクトセール。あのときはノーザンファームのスタッフ全員がセレクトセールに対して危機感を持っていました。ただ、その中でこの馬だけは高額で取引される、そんな手応えを感じさせてくれた馬でした」。
結果から言えば、同馬は2歳10月のデビュー戦のあと右後肢骨折のため全治9か月という重傷を負い、初勝利をあげた次の1戦のあとも1年以上にも及ぶ休養を余儀なくされるなど順調とは程遠い競走生活を送らざるを得なかった。当時の国内最高価格となる4億9000万円という落札価格と比較して、満足のいく成績ではなかったかもしれないが、この馬がノーザンファームスタッフ、そしてセレクトセールに与えた自信はとても大きいものがあったという。
母系4世代連続重賞勝利を記録
エアグルーヴは、初仔のアドマイヤグルーヴ(2000年生、父サンデーサイレンス)はじめ6頭の牝馬を遺しているが、特筆すべきはそのアドマイヤグルーヴ含めイントゥザグルーヴ(2001年生、父サンデーサイレンス)、ソニックグルーヴ(2003年生、父フレンチデピュティ)、グルヴェイグ(2008年生、父ディープインパクト)、ラストグルーヴ(2010年生、父ディープインパクト)の5頭が重賞勝ち馬の祖となり、枝葉を広げていること。
このうちの1頭、グルヴェイグの調教パートナーを務めていたのは、当時ノーザンファーム早来の日下厩舎で働いていた山内だ。「この馬は馴致の段階から極端に仕上がりの早いタイプではないと思いましたが、当時から肩の関節可動域が広いのが特徴的でした。前脚が遠くに伸びるから体全体が強く収縮して瞬発力を生み出してくれたのだと思います」。
おそらくだが、速く走るための骨格が伝えられているのだろう。
その特徴はグルヴェイグだけではなく「グルヴェイグの半兄フォゲッタブル(2006年生、父ダンスインザダーク)、ルーラーシップ(2007年生、父キングカメハメハ)にも通じるところがあって、グルヴェイグ直仔のクファシル(2020年生、父モーリス)も走り方が似ている」というから、エアグルーヴ・ファミリー全体に共通する特長のようだ。
栗東の角居勝彦厩舎の管理下に置かれたグルヴェイグは2歳12月にデビューし、4歳夏にマーメイドSに優勝。母エアグルーヴと同一重賞の母仔制覇、また半姉アドマイヤグルーヴと同一重賞姉妹制覇も成し遂げ、2021年ローズS優勝アンドヴァラナウト(2018年生、父キングカメハメハ)の母となっている。
そんなアンドヴァラナウトを「エアグルーヴの孫」という視点で向き合ったのは、ノーザンファームしがらきの中﨑だ。
「手掛ける馬に対しては、どの馬に対しても同じに扱うというのは言うまでもありませんが、やはりエアグルーヴの仔や孫が入厩してくると、気になります」。2歳8月まで北海道で過ごしたアンドヴァラナウトは10日ほどノーザンファームしがらきで長旅の疲れを癒したあと、同月下旬に栗東の池添学厩舎に入厩。ゲート試験合格後、再び中﨑の元へと戻ってきた。「普段は扱いやすい馬なのですが、このファミリーらしい繊細な部分を感じさせる馬でした。2歳から3歳春までは背腰も少し弱いところがあるなど、なかなか体に芯が入らず苦労しました」とのことで、2歳時は2戦して2着2回。そのため春のクラシックを断念してじっくりと立て直すことになったという。減っていた体を戻すためテンションが上がりすぎないように注意しながら負荷をかけ、4月の復帰戦は10kg増の馬体重で初勝利。夏に2勝目をあげると、その勢いそのままにローズSで重賞初勝利。秋華賞では勝ち馬(アカイトリノムスメ)から1馬身差3着と健闘している。「焦らず、じっくり待ったことで素質を生かすことができた馬です」と、母系4代連続の重賞制覇達成に、ほっとしたような表情になった。
父系から広がるエアグルーヴの血
また、エアグルーヴのファミリーからは優秀な種牡馬も多く輩出されている。エアグルーヴ直仔のルーラーシップ(2007年生、父キングカメハメハ)、そしてアドマイヤグルーヴの最高傑作ともいえるドゥラメンテ(2012年生、父キングカメハメハ)は数々の活躍馬を送り出して父系から枝葉を広げている。
ルーラーシップは長浜厩舎で産声をあげ、山内が騎乗スタッフとして、その背を知る馬だ。現役時代は栗東の角居勝彦厩舎に所属し、通算成績は20戦8勝2着2回3着4回。香港のクイーンエリザベス2世Cなど重賞4勝を挙げ、現役引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送っている。この馬を「生まれた間もない時のシルエットとリーディング(常歩引馬)の歩様が素晴らしかった」と表現したのは長浜だ。そうした印象は騎乗馴致をスタートさせたあとも引き継がれ「肩関節の可動域、そして体全体の収縮力はファミリー特有のもの」と山内を感心させている。
そんなルーラーシップの代表産駒の1頭に、父仔海外GⅠ制覇を成し遂げたメールドグラース(2015年生、母グレイシアブルー、その父サンデーサイレンス)がいる。ノーザンファームで生まれ早来調教厩舎では厩舎長として山内が携わり、しがらきの中﨑のもとへと来た。中﨑の当時のメールドグラースに対する第一印象は「5月下旬生まれということもあったと思いますが、線が細くて牝馬みたいな馬」だったという。栗東の清水久詞厩舎に所属し、2歳秋にデビューしたものの、レースに行けばルーラーシップ産駒に多く見られる「真面目に走りすぎてしまう」面も覗かせ、なかなか勝ち切れずに初勝利は翌年3月までずれ込んだ。「当時はまだ緩さを残す馬でしたが、キャリアを積むごとに馬がしっかりして芯が入り、競走成績が伴うようになってきました」。夏に2勝目を記録すると、4歳時は自己条件から新潟大賞典まで3連勝。一気に重賞ウイナーの仲間入りを果たしている。さらに鳴尾記念を1番人気で制し、小倉大賞典をトップハンデで快勝。すると陣営は南半球オーストラリア遠征を敢行する。
「メールドグラースにとって初めての海外遠征。何もかもが初めての環境で、やや戸惑いを見せていましたが、遠征経験があるクルーガー、リスグラシューも一緒でしたし、清水厩舎の担当厩務員の方やノーザンファームの獣医師も帯同していましたので、それは心強かったです」。見知らぬ環境に戸惑うメールドグラースを少しでも落ち着かせようと厩舎まわりで引き運動をたっぷりと行い、中﨑自身が調教パートナーを務め、馬に「普段通り」をアピール。そんな甲斐もあって落ち着きを取り戻したメールドグラースは、D・レーン騎手に導かれて海外G1制覇を成し遂げる。「レースの直前まで管理させてもらうというのは初めての経験でした。勝てたことはもちろん嬉しかったですが、それ以上に大きな経験をさせてもらったことは大きな財産になりました」と白い歯を見せた。
しかし、競馬は思うように行くことばかりではない。手を伸ばせば届きそう、それでも遠いのがG1タイトル。同じルーラーシップ産駒のリリーノーブル(2015年生、母ピュアチャプレット、その父クロフネ、栗東・藤岡健一厩舎)も印象に残る1頭だという。
「馬格に恵まれていたように、強い調教を行っても食欲が落ちないようなタフな馬でした。乗り味も良かった馬です」。当時、同じ厩舎にラッキーライラックもいて阪神ジュベナイルフィリーズでは、ワンツーフィニッシュ。翌年春へ夢は大きく広がったが、そこに立ちはだかったのがアーモンドアイだった。また、オークス2着後に右前肢の骨折が判明。復帰を目指したが今度は左前肢に種子骨靱帯炎を発症し、現役生活を断念せざるを得なかった。
「リリーノーブルは気性的にも真面目で、柔らかいフットワークをする馬でした。力強いバネはルーラーシップを通したエアグルーヴから受け継いだものだと思います。きっと、よいお母さんになると思いますので、産駒を手掛けることができる日を楽しみにしています」と夢を広げている。
そして、このファミリーから生まれたもう1頭の名種牡馬ドゥラメンテは記憶に新しい三冠牝馬リバティアイランドの父。リバティアイランドは五十嵐が携わった馬だ。「ドゥラメンテのフレームは、どちらかと言えばキングカメハメハが出ていると思いますが、顔なんかはアドマイヤグルーヴそっくりだと思います」と言い「リバティアイランドは生まれた時から後駆の筋肉がすごい馬で、ちょっとした拍子に機敏な動きをする馬でした。
アドマイヤグルーヴ、エアグルーヴ譲りと思える強い気性も個性のひとつだと思っていますし、それを認めたうえで人間からの指示も理解できるように馬に教えていくのが私たち繁殖スタッフの仕事です。今のリバティアイランドがあるのは、その後のイヤリング、調教といった牧場スタッフ全体の努力、そして厩舎の方々のおかげだと思っています」と感謝の言葉を重ね、さらなる活躍を願い、期待に胸を膨らませている。
誰かが言った。「サラブレッドの生産、育成は、夢がある。自分が手掛けた馬が種牡馬となり、繁殖牝馬となれば、例え自分が死んでも血統表の中にはその馬の名前が残る。自分という人間が存在した証になる」と。
300有余年の間、淘汰選択を繰り返されたサラブレッドは、1日にしてならず。今回、やや駆け足となったが1頭の牝馬から広がるファミリーと、ほんの一部でもあるが、そのファミリーを創りあげたスタッフの物語を紹介させてもらった。その物語はまだ終わりではない。続きは、ウマとヒトとが関わりあって今まさに紡ぎ出されている。