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WITH OUR HORSES 馬とともに

競馬の世界では、華やかなステージで活躍する競走馬がいる一方で、残念ながらそこまで辿り着けなかった競走馬もいます。全ての馬に同じように愛情を注ぎ、一頭一頭の個性を踏まえた育成を施したつもりでも、それらが必ずしも結果に繋がらないことは少なくありません。しかし、それだけに結果が出た時にもたらされる喜びはとても大きく、悩みながら接して得た経験もまた、何事にも代え難い財産となります。私たちは、一頭の競走馬を通じて牧場スタッフが当時何を考え何を得たのかについて、この業界を志す人たちに向けて発信していくことも、とても大事なことだと捉えており、このたびライターの方々の協力をいただきながらこのページの作成にあたりました。このページの趣旨にご理解をいただき、その上で読者の皆様にとってより競馬への興味を深めるきっかけになれば幸いです。

Text/R.Yamada

Gentildonnaジェンティルドンナ

22009年2月20日生 牝 鹿毛
父 ディープインパクト
母 ドナブリーニ(GB)
〈競走成績〉 国内17戦9勝 海外2戦1勝

三冠牝馬にして史上初の3歳牝馬によるジャパンカップ勝利、そして連覇。2度のドバイシーマクラシック参戦で2着→1着と華麗なるリベンジを果たし、完全燃焼を誓ったラストランで劇的な有終の美。競走馬名の由来である〝貴婦人〟と呼ぶにはあまりにも豪傑で、ケタ違いの運動能力を持ったサラブレッドだった。生涯獲得賞金17億円超。世界に名を馳せたジェンティルドンナの輝かしい軌跡を4人のホースマンの声と共に振り返る。

photo/Weekly Gallop

母や姉とは全く異なる体型で生を受ける
伸びしろの大きさを感じさせた幼少期

繁殖厩舎 Voice大房 篤史

2009年2月20日は粉雪が舞う厳冬の夜だった。ノーザンファームの空港繁殖エリアにあるK1厩舎で通称
〝ナイトマン〟と呼ばれる夜間専任スタッフに見守られ、ジェンティルドンナは産声を上げた。母は英2歳牝馬GⅠを制したドナブリーニ。父ディープインパクトにとっては2世代目の産駒だった。1歳上の姉ドナウブルーと同配合ながらその見た目について「体型的に似ているところはあまりなかった」と語るのは当時K1厩舎長を務めていた大房篤史。2年連続で母ドナブリーニのお産管理を任され、ドナウブルー、ジェンティルドンナの成長過程をつぶさに見てきたベテランスタッフだ。

2025年4月 ノーザンファームにて photo/R.Yamada

大房
姉妹はどちらも良い馬であることは間違いなかったのですが、タイプは全然違いましたね。母と似ていたのはどちらかといえばドナウブルーの方。脚や胴がやや短めで典型的なマイラータイプに映る母や姉と比べるとジェンティルドンナは背丈があって、脚の長さも平均的でした。当歳時からバランスが良くて跳ねるような軽さをもっていたドナウブルーに対して、ジェンティルドンナはサイズがしっかりとある分、当歳時はまだ体を使い切れていない印象がありましたね。でもそれは良い意味での物足りなさ。あの体で筋肉までついていたら成長過程で負担がかかってきますからね。余白が大きい分、先の成長が楽しみでもありました。

見た目のタイプは違っていても、姉ドナウブルーも重賞2勝馬。姉妹の共通点は。

大房
この姉妹はどちらも放牧地で他の馬と群れることがなかったですね。じつは母ドナブリーニもそういう面があって、強いけれどもリーダーやボス格にならずに群れから一定の距離を置くタイプ。産駒たちもそうで、とくにジェンティルドンナは他の馬たちに近づかず、まったくと言っていいほど群れませんでした。親と少し離れた場所にいても平気で1頭でいるような感じだったので、繁殖に上がって仔どもができた時に大丈夫なのだろうかと思ったものです。普段の世話で手がかかるようなところはなかったのですが、人に対してもやはり距離感はあって。これはドナブリーニ自身と産駒全般に言えることだと思いますが、自分というものを持っていて、納得しなければ曲げないマイルールがあったように思います。

自分は自分。そう言わんばかりに同世代と距離をとっていた幼少期。放牧明けの朝、体中に小傷を作っている仔もいる中で、群れないジェンティルドンナの体だけはいつもキレイなままだった。無駄なことは一切せず、静かに淡々と、着実に馬体を成長させていった。

大房
繁殖厩舎で生まれて、中期育成のイヤリング厩舎に送る頃にはどの馬も280kgぐらいまで成長します。誕生時のサイズが平均50~60kgですから約半年間で200kg以上も増えるわけです。ジェンティルドンナも同様の成長過程だったと記憶していますが、それでも当時はまだ物足りなさを感じていましたから、イヤリング厩舎への申し送りで「ここからの成長の余地が大きい馬です」と伝えました。先の成長を楽しみにしつつ、無事に送り出すことができて安堵したのを覚えています。

ケガや病気と無縁のイヤリング時代
すべてにおいて調和がとれていた

イヤリング厩舎Voice櫻井 一夫

良い意味での物足りなさ、を感じさせつつ順調に成長を遂げたジェンティルドンナは同年夏、中期育成のイヤリングY11厩舎へ移動した。成長の余白を残しながらも姉以上の馬格をもつ本馬をひと目見て、当時Y11のスタッフだった櫻井一夫(現在はイヤリング統括主任)は「この仔は絶対に走る」と胸を躍らせた。当時、ディープインパクトの牝馬といえばドナウブルーのように柔らかく、ゴム毬のように弾むタイプが主流で、実際に結果も出始めていた時期。本馬はそうした馬たちとは真逆だったのだが、もともと馬格のあるタイプを好む櫻井の目には「姉よりも上」と映った。

1歳5月

櫻井
だからといって、さすがにあそこまで走るとは夢にも思っていなかったですよ(笑)。ただ、最初から本当に良い馬だったことは確か。ドナウブルーが『柔』ならジェンティルドンナは『剛』。小柄で柔軟な動きを見せていた姉に対して妹は体もひと回り大きくて、とにかくしっかりとしていました。ディープインパクト産駒としては硬めで、今思えばですが、牝馬というよりも牡馬のような無骨さがありましたね。姉妹でタイプは全然違いましたが、共通しているところといえば、賢さでしょうか。一匹狼とまでは言いませんが、どちらも周囲の動向に影響されず、我が道を行くというタイプ。繁殖時代もそうだったようですが、イヤリング厩舎にきてからも一度もケガをすることなく過ごせたのは危機を察知する能力が高かったからだと思います。

サンデーサラブレッドクラブ主催の募集馬見学ツアーでジェンティルドンナを担当されていますよね。

櫻井
同世代の牝馬の中で一番良い馬だと思っていましたので、自分から「この馬を持たせてください」と立候補しました。じつは、見学ツアーの展示中にすぐ近くにいた馬が放馬するアクシデントがあったのですが、他の馬たちが興奮したりイレ込んだりする中、ジェンティルドンナは何事もなかったかのように涼しい顔をして微動だにしませんでした。普通の馬は多少なりとも動揺するものですが、この馬は全然。「ああ、この仔は大物だ」と直感しましたね。

その時抱いたイメージどおりの競走馬になった。

櫻井
落ち着いたメンタルとドナウブルーよりも長めに映る体型を見て、当初から距離はもつだろうと思っていましたし、1勝、2勝で終わる馬ではないだろうとは見ていました。でもジェンティルドンナの何が優れていたかって、どこか一部分が突出しているとかではなくて全てにおいてちょうどいい馬であったこと。姉よりも硬めのつくりだったとはいえ、硬さを1~10段階で評価した時の5レベルの話。柔らかすぎても硬すぎても、やっかいなものですから、どちらに振れてもあそこまで大成しなかったかもしれない。性格もただボサッとしているのではなく、芯があってスイッチを持ったうえで我慢することができた馬。飼い葉もよく食べて、好き嫌いなく食欲旺盛でしたし、あらゆる部分でバランスがとれていたからこそ、あそこまでの馬になれたのだと思っています。

たとえ突出したスピードを持っていても、ガラスの脚では意味がない。競走向きの気性も抑えがきかなければ持てる能力を発揮することはできない。調和がとれていること、どんな時も自分をしっかりと保ち続けられること。それは現場で働くホースマンも同じであり、実際に櫻井が自分自身に対していつも意識しているテーマである。

櫻井
馬と人、上司と部下、どちらも信頼関係が大事ですよね。だから共通する部分はあると思います。馬にとってのイヤリング部門は人間に例えれば小学生から中学生の一番多感な時期を過ごす場所。人なら人格形成に大きく影響する時期ですから、馬であっても接し方もそうですし、休息と運動と給餌のバランスがとても大事だと思います。時には叱ることも必要だけれど、そこで感情的に怒ってはダメですし、日々をのびのびと過ごすことが大前提。でも自由にさせすぎても良くない。だから毎日を平穏に普通に過ごすことができればそれが一番良いと思っています。

育成スタッフを驚愕させた体幹の強さと身体能力
一方で、競走馬にとって必要な闘争心をさほど表に出さなかった

調教厩舎(空港)Voice伊藤 賢

イヤリング部門を至って普通に〝バランス良く〟卒業したジェンティルドンナは2010年夏、伊藤賢厩舎長(現在は調教主任)が待つノーザンファーム空港C3厩舎へ移動した。調教厩舎に入ってきた当時の馬体重は438kg。すでに骨量は十分にあったが、その第一印象は「まだまだ体が追いついていないし、それだけ成長力がありそうだ」と、やはりここでも良い意味での〝物足りなさ〟を感じさせた。だから、なおさらだろう。伊藤は馴致トレーニングを開始して間もなくこの馬の並外れた身体能力に度肝を抜かれることになる。

伊藤
初めてジェンティルドンナに跨った時に衝撃を受けました。今でも鮮明に覚えているのですが、小さなロンギ場で周回を始めてみると、走りのバランスと体幹の強さが図抜けていて、運動センスや能力といったものがすべて段違いのレベルでした。通常、1歳馬は深い砂に脚をとられてバランスを崩したり、フラついたりするものですが、ジェンティルドンナは最初からしっかりと動けて、重心もブレない。見た目にはまだまだ成長途上の体なのに、どうしてこんなに動けるのか、と心底驚きました。長いホースマン人生で後にも先にもそんな馬には出会っていませんし、この時点で「モノが違う」と感じていましたね。だからこそ、これは極端な言い方になりますけれど僕自身は何もしなくていいのかな、と。できるだけ馬の邪魔をしないように、余計なことをせずに進めていこうと思いました。

資質はすでに高く、そのまま成長をしてくれればいいと。

伊藤
走ることに関しては基本的にそうです。とはいえ、まだまだ成長途上でしたし、もともと我の強いところがあった馬。厩舎間を移動する際に急に立ち止まったり、違う方へ行こうとしたりと手を焼くこともありましたから、必要に応じて教えるべきところはしっかりと教えて。それに、一般的にジェンティルドンナはすべて順調にいって丈夫というイメージがあるかもしれませんが、育成段階においてはすべてが順風満帆だったわけではありません。繰り返しになりますが、当時はまだまだ成長途上のシルエットでしたから、馬のバランスが崩れた時期もありますし、冬場は骨の弱さや骨瘤にも悩まされました。

当時、騎乗する際にとくに注意していたことはありますか。

伊藤
ジェンティルドンナは乗り出した当初から左手前と右手前でストライドの伸びにかなり差があったので、そこを修正することを意識して乗るようにしていましたね。左手前だと素晴らしい伸びを見せるのに対して右手前だと伸びが物足りない。これは右トモと比べて左トモの力が弱いためです。実際に装蹄師に相談して蹄鉄を工夫してもらっていましたし、左右のバランスをとることで左トモを強化するという意味合いもありました。また、意外に思われるかもしれませんが、当時のジェンティルドンナは前の馬を抜かそう、とか負かしてやろうとする気持ちをなかなか見せてくれなくて、どちらかといえば〝なまくら〟なタイプ。レースでもそのままでは困るので、そこは意識して乗るようにしていましたね。

幼少期の頃から他の馬に興味を示さず、群れもしなかったジェンティルドンナ。もともと周囲を気にしない性格ゆえに、相手よりも前に出よう、負かしてやろうという競争心が当時は足りなかったのかもしれない。どんな時も平常心を保てることは強みだが、レースにおいては多少なりとも燃えるスイッチが必要となる。伊藤は日々の調教において強引にでも先頭に立たせる、時には気合を入れて前を交わすように促した。ずば抜けて身体能力が高い馬だからこそ、いくらでも楽に気持ち良く乗ることはできたはず。しかし、より高いレベルを求められた人馬だからこそ、シーンごとに課題に取り組む時間もまた必要だったのだ。

伊藤
2歳の夏頃になると左右のバランスが良くなり、またトモが強化されたことで体も変わってきました。ただ、その頃でも競争心を自分から表に出すことはあまりなかったですね。促がせば「仕方ないな」という感じで動くけれど、最後まで自分から率先して前に出るようなタイプではなかったです。それでも、他の馬が精一杯という感じで走るペースでも馬なりで楽に走れてしまう。実際、ジェンティルドンナに関しては坂路調教でも周回コースにおいても息が上がったことはただの一度もありません。ペースが一段、二段と上がっていってもまったく変わらないのです。それだけ心肺機能が優れていましたし、それこそ僕自身が桜花賞よりオークスを強く意識していた理由でもあります。マイルではスピードのある先行馬をとらえきれないケースも考えられますが、距離が延びるほどに心臓や運動能力の差がハッキリと出るだろうと。だから、マイルよりも2000。2000よりも2400だと考えていました。

2歳の夏をこちらで過ごして2011年8月25日にいよいよノーザンファームしがらきへ向けて出発。しがらきの担当者への申し送り事項はありましたか。

伊藤
とくにはなかったと記憶しています。じつは、しがらきの担当厩舎長は以前C3厩舎で一緒に働いていた鈴木康介という僕の後輩スタッフ。彼はこちらにいる時にジェンティルドンナの初期馴致を担当したこともあり、この馬の能力を感じていた1人です。彼が向こうに行ってからもたびたび連絡を取り合っていましたし、成長過程についても話していたので何も心配はしていませんでした。あとは任せたぞ、という気持ち。彼なら大丈夫だと信頼していました。

確かな成長を感じさせた2歳秋
旧知の関係性から、バトンの受け渡しもよりスムーズだった

調教厩舎(しがらき)Voice鈴木 康介

ノーザンファームしがらきへ移動したジェンティルドンナの担当厩舎長が馴致経験のある鈴木康介(現在は調教主任)だったのは偶然ではない。栗東トレセン関係者の来場が頻繁にあるしがらきでは原則、調教師ごとに担当厩舎を振り分けており、春から新たに厩舎を始動するにあたって鈴木は自ら石坂正厩舎の担当を希望していた。その理由はただひとつ。石坂厩舎なら「あのドナブリーニの09が来てくれるだろうから」だった。

初めてジェンティルドンナに跨ったのはC3厩舎所属時代だったそうですね。

鈴木
馴致中にロンギ場で跨ったのが最初ですね。1歳牝馬とは思えない体幹の強さがあって、普通ならバランスを崩す場面でもスッスッと動けました。そこで「なんだ、この馬は」と。でも、そんな馬には出会ったことがなかったので、果たしてこれが走る馬の証なのか、その時は判断できませんでした。一番、強烈に覚えているのが初めて坂路に入った時。初めて坂路を登る時は多くの馬がもがき苦しみながら登るものですが、ジェンティルドンナはスーッと楽な感じで登って、息もまったく乱れません。「この馬はすごい」と確信しましたね。

2010年10月にしがらきへ転勤されるまで調教パートナーを務めていた。

鈴木
そうです。僕が北海道にいる間は主に騎乗させていただいていました。移動後は伊藤さんが乗ってくださって、成長過程についても電話で「順調に乗れているよ」とか「体が上に伸びてきたから少し休ませるよ」と逐一、教えていただいていました。

しがらきで久々に再会した時の印象を教えてください。

鈴木
そうですね、イメージどおりでしたね。伊藤さんはずっと成長を第一に考えてくれていましたし、とても良い体型になっていました。乗ってみたら馬が走りのバランスをわかっていて、鞍上はリズムに合わせてあげるだけで良いという感覚。丁寧に乗られてきたのがわかりましたし、とても乗りやすかったです。

伊藤さんが気にされていた闘争心の部分はどうでしょう。

鈴木
確かに本能的に前の馬を追いかけるというタイプではなかったですね。1頭になっても動じませんし、常歩ぐらいでは一生懸命に動かないというか。単走でも併せ馬でも手応えが変わらなかったです。でも、促がせばどこまででも動きましたし、追えば反応もしてくれました。今思えばですが、そういうタイプの馬だから岩田騎手や戸崎騎手、外国人騎手のように追って追って動かしていってくれる鞍上との相性が良かったのかもしれませんね。

鈴木の元で約1ヵ月間乗り込まれたジェンティルドンナは10月5日に栗東・石坂正厩舎へ入厩。ゲート試験を経て、すべての準備が整ったことから11月19日京都芝マイル戦のデビュー戦を迎えた。当日はあいにくの不良馬場。中団で折り合い、外々を回りながら追い込んだものの、極端なスローペースもあいまって前が止まらず、2馬身半差の2着という結果に終わった。初物づくしの新馬戦は能力の絶対値だけでは図れない部分がある。馬場やペース、自分から前の馬を追いかけるタイプではなかったこと。体つきにまだ余裕が残っていたこと。いくつかの要因が重なった結果であり、裏目に出た部分がひっくり返ればすべてが好転する。実際、鈴木をはじめ伊藤、櫻井、大房らノーザンファームスタッフは早々に確信していた。「次は絶対に大丈夫」だと。
強気だったのは石坂師も同様で、2戦目に混合戦を選択したのは牡馬相手でも問題なく勝てるという絶対の自信があったからだ。万全の態勢で迎えた12月10日阪神3R、芝マイル戦。ひと叩きされたことで数字以上に馬体が引き締まり、レース前から気持ちも乗っていた。スタートを決めて好位につけたジェンティルドンナは残り200m地点から抜け出すと後続に3馬身半差をつけ悠々とゴール。輝かしい競走生活の第一歩にふさわしい初勝利となった。

鈴木
まず間違いないだろうと見ていましたし、イメージどおりの勝ち方でしたね。1勝しましたし、ここで一旦休むのかなと思っていたら石坂先生から「そのまま(トレセンに)置いてシンザン記念に行く」と。また牡馬相手ですからね。先生もそれだけ評価してくださっていたのだと思います。実際にそこを勝って牡馬相手のレースで2連勝、重賞勝ちを決めてくれて、改めてすごい馬だなと思いました。

2011年 2歳未勝利 photo/Weekly Gallop

じわりと闘争心が芽生えはじめたジェンティルドンナは序盤でやや行きたがる素振りを見せたものの、直線で早めに抜け出すと、そのまま後続を完封。牝馬としては13年ぶりにシンザン記念を制し、クラシック戦線の有力候補に名を連ねた。

2012年 シンザン記念・GⅢ photo/Weekly Gallop

鈴木
ここでリフレッシュを兼ねてしがらきへ戻ってきたのですが、驚いたのは変化が全然なかったこと。カリカリしていませんし、相変わらず落ち着き払っていて、飼い葉もペロリと平らげる。レースを使って馬体がさらに良くなっていたことぐらいで、あとは何ひとつ変わりませんでしたね。

調教~現役時代を通じて、伊藤と鈴木はジェンティルドンナが飼い葉を残した姿をただの一度も見たことがない。どんな時でもよく食べて、しっかりと運動するのがジェンティルドンナの日常だった。普段から無駄なことは一切せず、省エネがモットーだから馬体も維持できる。

鈴木
牝馬はとくにカリカリとした気性だと飼い葉も落ちて馬体が細くなってしまうケースが多く見られます。そうした面が一切ないので、管理するのにこんなに楽な馬はいません。むしろ太り過ぎないように飼い葉の量を調整していたくらいですから。

リフレッシュ放牧を挟んで臨んだチューリップ賞は熱発の影響もあって4着に沈んだが、鞍上を含め、誰ひとりとして悲観する者はいなかった。ただ、唯一、桜花賞の懸念材料として考えていたのはマイルという距離だ。マイラーとして大成していた姉とは見た目からして違っていたジェンティルドンナ。イヤリング・櫻井と空港調教・伊藤の見立ては最初から「距離が欲しいタイプ」であり、裏を返せばここさえ勝てればクラシック完全制覇が見えてくる。そんな思いもあった。

4コーナー手前、鞍上・岩田騎手が早々と仕掛ける。懸命に促しながら横一線の叩き合いからじわりじわりと抜けていき、内で食い下がるヴィルシーナを競り落とした。渾身のガッツポーズ。チューリップ賞でジェンティルドンナの特徴を掴んでいた鞍上の好判断だった。スタンドで見守った伊藤は鈴木と抱き合って喜び、そして確信した。「間違いない、次も勝つ」。鈴木にとっては厩舎長になって初めて迎えたクラシックイヤーでのGⅠ初制覇。それも長年、一緒に働いてきた伊藤が手掛けた馬で勝つことができたことは何ものにも代えがたい喜びだった。

鈴木
競馬場からの帰りの車で伊藤さんと一緒だったのですが、その時に「伊藤さんの厩舎の馬で勝てたのが最高に嬉しいです」と伝えたら、伊藤さんが「いや、自分のところにいた馬が鈴木のところに行って勝ってくれたのが俺は一番嬉しいよ」と言ってくれて。本当に嬉しかったですね。幸せな時間でした。

2012年 桜花賞・GⅠ photo/Weekly Gallop

桜花賞後は約1週間の短期放牧でリフレッシュさせ、牝馬クラシック第2章へ。後方で折り合い、直線で外に進路をかまえたジェンティルドンナはメンバー最速の上がり34秒台の末脚を繰り出し、2着ヴィルシーナに5馬身差をつけて大勝した。勝ち時計2分23秒6は従来記録を1秒7更新するレコードタイム。戦前の距離不安説を一蹴し、クラシックディスタンスにおいて圧倒的な強さを誇示した。じつはオークス出走の前段階で鈴木の胸の内には「ダービーへ行ってほしいな」という思いがあった。実現こそしなかったが、時計だけでいえばオークスの走りを同年のダービーに当てはめた場合、ジェンティルドンナはディープブリランテよりも前にいたことになる。もちろん、日時もペースも相手関係も違うのだから単純な比較に意味などない。ただ、以降の戦績を考えるとこれを幻想だと笑うことも難しい。

2012年 優駿牝馬(オークス)・GⅠ photo/Weekly Gallop

オークス後にノーザンファームしがらきへ戻ったジェンティルドンナは束の間の休息を過ごした。この時も春の激戦を物語るようなダメージは見られず、スタッフが拍子抜けするほどケロリとしていた。

鈴木
レコード決着後ですから反動がありそうなものですが…正直、そうでもなかったです(笑)。「元気だなー」と思ったぐらい。よく食べて、みるみる大きくなりましたね。普通の馬と同じ調教メニューでは足りないので、もともとベース自体が一段階上げた内容ではあったのですが、マシンの後に1時間ぐらい歩いてから坂路へ行くなど、エネルギーを放出させるために特別メニューを行っていました。クールダウンを含めるとジェンティルドンナ1頭に2時間ぐらいはかかっていましたね。現在なら低酸素トレッドミルなどの選択肢もありますけど、当時はまだなかったので、とにかくよく歩いたと思います。

無事に夏を過ごしたジェンティルドンナは秋緒戦のローズSで盤石の強さを見せ、クラシック最終章・秋華賞へ。4コーナーを回った時点で前とはかなり差があり、「ヒヤヒヤした」(伊藤)ものの、エンジンがかかると猛然と追い込み、並んで伸びたヴィルシーナとの追い比べをハナ差制して史上4頭目となる牝馬三冠を達成した。そして、3歳シーズン最後のレースに選ばれたのは古馬GⅠの最高峰とされるジャパンカップ。11年三冠馬オルフェーヴル、凱旋門賞馬ソレミアなどGⅠ馬9頭が参戦したこの戦いにおいて、ジェンティルドンナはこれまで見せたことがないほど闘争心をむき出しにして強豪牡馬勢をねじ伏せた。

2012年 秋華賞・GⅠ photo/Weekly Gallop

鈴木
三冠達成も本当に嬉しかったのですが、オルフェーヴルと馬体をぶつけながら伸びてきたジャパンカップは意外すぎて驚きました。こちらにいる時は他の馬と競る気持ちや負けん気の強さを出したことがないですからね。ああいう気持ちを全面に出すレースができるようになったのは想定外でしたね。きっと、トレセンやしがらき、レースでいろんな経験をして引き出されたものだと思います。

2012年 ジャパンカップ・GⅠ photo/Weekly Gallop

闘争心が芽生え、競走馬として完成の域に近づいたジェンティルドンナは翌年、ドバイシーマクラシックへ。輸送を無事にクリアして良い状態で臨むことができたが、先行したセントニコラスアビーをとらえられず2着に敗れた。ドバイに帯同した鈴木はこの敗戦について「相手が強かったことは事実ですが、馬の能力差というよりも勝ったA・オブライエン厩舎とチーム・ジャパンではスタッフたちの経験値に差があった」と振り返っている。
帰国後は宝塚記念3着、天皇賞・秋2着を経て、再びジャパンカップへ。使いながら状態が上がっていたジェンティルドンナは好位内でリズム良く運び、直線半ばで抜け出すと、後続の追撃を振り切った。『これが最強牝馬のプライド!』(実況アナウンスより)。史上初のジャパンカップ連覇、それも牝馬による歴史的快挙であった。

2013年 ジャパンカップ・GⅠ photo/Weekly Gallop

鈴木
このレースでもわかりますが、ジェンティルドンナは明らかに使って良くなるタイプでした。だから、今こうして戦績を振り返って思うのは間隔が空いたレースの場合はトレセンに入る前にこちらでもう一段上げた状態で送っても良かったのかなと。この時にはもうわかっていたのですが、翌年も生かしきれませんでした。まだ甘かったと感じますね。

5歳シーズンに入ったジェンティルドンナは京都記念を叩いて2度目のドバイシーマクラシックへ向かった。鞍上はジャパンカップに続いてR・ムーア。好位内から抜群の手応えで追い出すも、前が壁になったうえ接触の不利もあった。一旦下げてようやく外に持ち出された時には前との差が開いていたが、鞍上のムチに応えて再び加速すると並ぶ間もなく交わして歓喜のゴールに飛び込んだ。身体能力の高さをフルに生かし、泥臭く闘争心を全面に出した勝利。チーム・ジャパンにとっても将来の糧となる大きな1勝だった。

2014年 ドバイシーマクラシック・UAE GⅠ photo/Weekly Gallop

帰国後は宝塚記念9着、天皇賞・秋2着を経て、同年の最終目標としていた3度目のジャパンカップへ。天皇賞を叩いたことで状態は明らかに上がっており、鈴木や伊藤も「ここは勝てるだろう」と見ていたが、雨の影響が残った馬場をうまくさばくことができず4着に敗れてしまう。当初はここを引退レースとするプランが濃厚だったが、この敗戦を「不完全燃焼」と断じる石坂師の意向もあって有馬記念をラストランとすることが決まった。

鈴木
この中間はトレセンで調整されたのですが、状態に関しては文句なしでしたね。放牧を挟まずに短期間で3連戦はこの馬にとって初めてでしたが、状態はジャパンカップの時より良くなっていたほど。やはり上がるのか、と思いました。

初めての中山コース。右回りで負けたレースが多いことから人気を落としていた。

鈴木
古馬になってからはとくに左回りで勝っていたので、メディアでもそこを不安視されていましたよね。でも僕自身は乗っていて左手前、右手前の差を感じたことはないですし、まったく気にしていませんでした。それよりも馬場。とにかく天気がもってくれ、とそれだけでした。

願いは通じた。快晴、良馬場で迎えたラストランの有馬記念。大歓声の中、抜群のスタートを切ったジェンティルドンナはスローペースをグッと我慢して好位3番手で折り合う。スピードを落とすことなく最終コーナーを回り、鞍上が追えば追うほどに伸びた。馬場を踏みしめ、蹴り出しはどこまでも強く。先に動いたエピファネイアを競り負かし、1頭で抜けてからも勢いを持続したまま後続を完封。積み重ねてきたキャリアや時間がすべて集約された、完璧な勝利だった。ゴールした瞬間に鈴木はむせび泣き、隣で冷静さを保っていた伊藤も引き上げてきた厩舎スタッフたちの涙を見てたまらず号泣した。

2014年 有馬記念・GⅠ photo/Weekly Gallop

あの日から約10年。2番仔のジェラルディーナはGⅠ馬となって牧場に戻り、この春、母となった。23年産駒たちがトレーニングを重ねるノーザンファーム空港の坂路小屋には2枚のジェンティルドンナの写真が飾られている。連覇したジャパンカップのそれぞれを記念したものだ。
「自分の馬に対する目線や考えが世界にまで広がるキッカケをつくってくれた馬」(大房篤史)
「馬を見ることへの自信を持たせてくれた馬で、今に繋がっている」(櫻井一夫)
「自分のホースマン人生に自信を持たせてくれた馬」(伊藤賢)
「あの馬に出会えたから、今の僕がある」(鈴木康介)

歴史を変え、今なお彼らの指針であり続けているジェンティルドンナ。その功績は目に見えるものだけに止まらず、これから世界を目指す者たちの礎としてこの先も引き継がれていくだろう。

2025年4月 ノーザンファームにて photo/R.Yamada